手探りに探ってみた。どうやら石の階段らしい。
「いよいよ戸外《そと》へ出られるかな」こう思うと彼は嬉しかった。一つ一つ石段を上って行った。二十段近くも上った頃、木の扉へぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]た。
「人家へ続いているのだな」意外に思わざるを得なかった。
 彼は扉を押してみた。すると案外にもすぐ開いた。はたしてそこは人の家であった。人の家の一室であった。
 そうだそれは部屋であった。しかも普通の部屋ではなかった。
 それは非常に広い部屋で、畳を敷いたら百畳も敷けよう、行灯《あんどん》が細々と灯っていた。そうして縛られた女や男が、あっちにもこっちにも転がっていた。
 呻く者、泣く者、喚く者、縛られたまま転げ廻る者、呪詛《のろ》いの声を上げる者、……部屋の内はそれらの声で、阿鼻《あび》地獄を呈していた。
 人の類も様々であった。まず女から云う時は、町家の娘、ご殿女中、丸髷《まるまげ》に結った若女房、乞食《こじき》女、いたいけな少女、老いさらばった年寄りの女、女郎らしい女、芸妓らしい女、見世物小屋の太夫らしい女、あらゆる風俗の女達が、もだえ苦しんでいるのであった。
 男の方も同じであった。商家の手代、商家の丁稚《でっち》、役者、武士、職人、香具師《やし》、百姓、手品師、神官、僧侶……あらゆる階級の男達が、狂いあばれているのであった。
 そうしてそれらの人々の上を、行灯の微光が照らしていた。
 低い天井《てんじょう》、厳重な壁、出入り口の戸はとざされていた。
 これを見た葉之助は驚くよりも、恐怖せざるを得なかった。彼は棒のように突っ立った。
「いったいここはどこだろう? いったいどういう家だろう? この人達は何者だろう? いったい何をしているのだろう?」
 しかし彼の驚きは――いや彼の恐怖心は、しばらく経つと倍加された。彼は一層驚いたのであった。
 さらにさらに恐怖したのであった。
 と云うのはそれらの人々が、決して苦しんでいるのではなく、そうして何者かに幽囚されて、呪詛《のろ》い悲しんでいるのではなく、否々《いないな》それとは正反対に、喜び歌い、褒《ほ》め讃《たた》え――すなわち何者かに帰依《きえ》信仰し、欣舞《きんぶ》しているのだということが、間もなく知れたからであった。
 呪詛《のろい》の声と思ったのは、実に讃美の声なのであった。
「光明遍照! 光明遍照! 喜び
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