、源介の胸へしがみ付いている。
源介の魂は宙へ飛んだ。で、むやみと口嘗《くちな》めずりをした。「こ、こ、こいつア悪かあねえなあ。ううん偉いものが飛び込んで来たぞ。まず俺の物にして置いて、品川へでも嵌《は》めりゃあ五十両だ」
こう思ったそのとたん、女はヒョイと胸から離れ、まず衣裳の乱れを調《ととの》え、それから丁寧《ていねい》に辞儀をした。
「あぶないところをお助けくだされ、何んとお礼を申してよいやら、ほんとに有難う存じました」
切り口上で礼を云った。
「へえ、ナーニ、どう致しやして。でもマア怪我《けが》もなかったようで、いったいどうしたと云うんですえ?」
相手に真面目に出られたので、つい源介も真面目に云った。
「はい、ちょっと主人の用事で、新銭座の方まで参りましたところ後から従《つ》けて来た悪者に、……」
「ナール、空地でとっ[#「とっ」に傍点]捉まえられたんだね。で、お家はどこですえ?」
「はいツイそこの愛宕下で。……あのまことに申し兼ねますが、お助けくだされたおついで[#「おついで」に傍点]に、お送りなされてはくださいますまいか」
「またさっきの悪い奴が追っかけて来ねえものでもねえ、ようごす、送ってあげやしょう」
こうは云ったが源介は、腹の中では舌打ちをした。「どうもこいつア駄目らしいぞ。これが下町の娘っ子なら、たらし[#「たらし」に傍点]て宿へも連れ込めるが、山の手のお屋敷風、さようしからばの切り口上じゃ、ちょっとどうも手が出ねえ。物にするなあ諦めて、お礼でもしこたま[#「しこたま」に傍点]貰うとしよう」
「じゃ姐《ねえ》さん行こうかね」こう云って源介は歩き出した。
「それではお送りくださいますので、それはマア有難う存じます」云い云い女は並んで歩いた。
柴井町から露月町、日蔭町まで来た時であったが、
「まあいいお体格でございますこと」不意に女がこう云った。
「え?」と源介は女を見たが、早速には意味が解らなかった。「なんですえ、体格とは?」
「あなたのお体でございますわ」
「ナーンだ篦棒《べらぼう》、体のことか」源介は変に苦笑したが、
「体が資本《もとで》の駕籠屋商売、そりゃあ少しはよくなくてはね」
「ずいぶんお目方もございましょうね?」
「へえ」と云ったが源介は、裏切られたような気持ちがした。
「ほんとに何んだいこの女は! あぶなく酷い目に逢いかか
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