ったか、ご苦労ご苦労、疲労《つか》れたであろう、休息するよう」
 云いすてて置いて北山は、自分の部屋へつと[#「つと」に傍点]はいった。
 書面をひらいて読み下すと、次のような意味のことが書いてあった。

[#ここから2字下げ]
「前略、とり急ぎしたため申し候《そうろう》、さて今回金一郎様、不慮のことにてご他界遊ばされ、君臣一同|愁嘆至極《しゅうたんしごく》、なんと申してよろしきや、適当の言葉もござなく候、しかるに当夜私事、偶然のこととは云いながら、二、三怪しき事件に逢い、疑惑容易に解《と》き難きについては、先生のご意見承わりたく、左に列記|仕《つかまつ》り候。
 当日、私非番のため、家を出でて市中を彷徨《さまよ》い、深夜に至りて帰路につき、愛宕下まで参りしおりから、蘭医大槻玄卿邸の、裏門にあたって一挺の駕籠、忍ぶが如くに下ろされおり、何気なく見れば一人の老人まさにその駕籠に乗らんとす。しかるに全く意外にも該《がい》老人こそ余人ならず、先生にもご存知の大鳥井紋兵衛、これは怪しと存ぜしまま後を慕って参りしところ、紋兵衛の駕籠は根岸に入り我らが主君には実のご舎弟、帯刀様のお屋敷内へ、姿を隠し申し候、誠に奇怪とは存じながら、せんすべなければ立ち帰らんと、歩みを移せしそのおりから、忽《たちま》ち前面の草原にあたり、あたかも笛を吹くがようなる美妙《びみょう》な音色湧き起こり、瞬間にして消え候さえ、合点ゆかざる怪事なるに、草原を見れば白粉《おしろい》ようなる純白の粉長々と、帯刀様のお屋敷より、我らがご主君の下屋敷まで、一筋筋を引きおり候。
 いよいよ怪しと存ぜしまま、その白粉《はくふん》を摘み取り、自宅へ持ち帰り候が、別封をもってお眼にかけし物こそ、その白粉にござ候。
 かくて翌日と相成るや、金一郎様の変死あり、何んとももって合点ゆかず、異様の感に打たれ候ものから、貴意を得る次第に候が、白粉《おしろい》ようなる白粉《はくふん》につき、厳重なるお調べ願いたくいかがのものに候や。下略」
[#ここで字下げ終わり]

「ふうむ、いかさま、これは怪しい」
 読んでしまうと北山は、じっと思案の首を傾げた。それからやおら[#「やおら」に傍点]立ち上がると、実験室へはいって行った。
 まず部屋の戸をしっかりと閉じ、次に火器へ火を点じた。それから葉之助から送って来た油紙包みの紐を切り、ついで取り
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