殿の命に従うことにした。
ご前を下がって行く彼の姿を、じっと見送っていた武士があったが、他ならぬ剣道指南役、客分の松崎清左衛門であった。
「なんと清左衛門、葉之助は、若いに似合わぬ立派な男だな」
駿河守は何気なく云った。
「御意《ぎょい》の通りにございます」清左衛門は物憂《ものう》そうに、
「しかし、いささか、心得ぬ節が。……」
「心得ぬ節? どんな事か?」
「最近にわかに葉之助殿は、器量を上げられてございます」
「いかにもいかにも、あれは奇態だ」
「まことに奇態でございます」
「しかし、元から美少年ではあった」
「ハイ、美少年でございました。それに野性がございました。それも欝々《うつうつ》たる殺気を持った恐ろしい野性でございました。飯田や高遠で成長《ひととな》ったとはどうしても思われぬ物凄《ものすご》い野性! で、気の毒とは思いましたが私の門弟に加えますことを、断わったことがございました」
「そういう噂もチラリと聞いた」
「しかるに最近に至りまして、さらにその上へより[#「より」に傍点]悪いものが加わりましてございます」
「ふうむ、そうかな? それは何かな?」
「ハイ、妖気でございます」自信ありげに清左衛門は云った。
「ナニ、妖気? これは不思議!」
「まことに不思議でございます」
「しかし私《わし》にはそうは見えぬが。……」
「しかし、確かでございます」
「どういう点が疑わしいな?」
「これは感覚でございます。そこを指しては申されません」
駿河守は首|傾《かし》げたが、「どうも私《わし》には信じられぬ」
「やがてお解りになりましょう」
五
殺人の本人、葉之助へその捕り方を命じたのは、笑うべき皮肉と云わざるを得ない。
辻斬りが絶えないばかりでなく反対にその数の増したのは当然過ぎるほど当然である。
こうして真の恐怖時代、こうして真の無警察時代が高遠城下へ招来された。
冬の夜空の月凍って、ビョービョーと吠える犬の声さえ陰に聞こえる深夜の町を、捕り方と称する殺人鬼が影のように通って行く! おお人々よ気を付けたがよい。その美しい容貌に、その優雅な姿態《すがたかたち》に、またその静かな歩き方に! 彼は人ではないのだから! 彼は呪われたる血吸鬼《バンプ》なのだから!
しんしんと雪が降って来た。四辺《あたり》朦朧《もうろう》と霧立ちこめ、一
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