南に向けた。若殿のご座船を先頭にして神宮寺の方へ進んで行く。
見ていた湖岸の連中は、ここでまたひそひそと噂し出す。
「神宮寺の方へ行くようだね」
「これはどうも物騒《ぶっそう》千万、死地へ乗り入《い》ると同じようなものだ」
「死地に乗り入るは大袈裟だが、どうも少々心なしだな」
「水狐部落の巫女どもに悪い悪戯《いたずら》でもされなければよいが」
「あいつらと来たら無鉄砲だからな。ご領主であろうと将軍様であろうと、そんな物には驚きはしない」
「何か事件が起こらなければよいが」
「そうだ、何か悪い事件がな」
「あの濶達《かったつ》な若殿様が、そのためご苦労するようではお気の毒というものだ」
船隊はその間に岬を廻り、すっかり視野から消えてしまった。
一七
若殿のご座船を先頭に、二十隻の船は駸々《しんしん》と、湖水の波を左右に分け、神宮寺の方へ進んで行ったが、やがて目的の地点まで来ると、頼正は扇で合図をした。二十隻の船はピタリと止まる。
ここ辺りは入江であって、蘆《あし》や芒《すすき》が水際に生《お》い、陸は一面の耕地であり、所々に森があったが、諏訪明神の神の森が、ひとり抽《ぬき》んで、聳《そび》えているのは、まことに神々《こうごう》しい眺めである。
その神の森を遠く囲繞し、茅葺《かやぶき》小屋や掘立小屋や朽葉色《くちばいろ》の天幕《テント》が、幾何学的の陣形を作り、所在に点々と立っているのは、これぞ水狐族と呼ばれるところの、巫女どもの住んでいる部落であった。炊《かし》ぎの煙りが幾筋か上がり、鶏犬の啼き声が長閑《のどか》に聞こえ、さも平和に見渡されたが、しかし人影が全く見えず、いつもは聞こえる人の声が、今日に限って聞こえないのは、決して平和の証拠ではない。
船の上から頼正は水狐族の部落を眺めていたが、たちまちその眼を湖上へ返すと、颯《さっ》と扇を頭上に上げた。とたんにドブンという水の音。灘兵衛が水中へ飛び込んだのである。見る見る湖面へ波紋が起こりそれが次第に拡がって行く。
「さて今度はどうであろう? 石棺の在所《ありか》は解らずとも、手懸りでもあってくれればよいが」
頼正は船首《へさき》に突っ立ったままじっと水面を窺《うかが》った。
突然彼は「あっ」と叫んだ。彼の視線の落ちた所、蒼々《あおあお》と澄んでいた水の面がモクモクモクモクと泡立つ
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