礼な奴だ」と思い[#「思い」は底本では「思ひ」と誤記]乍ら、越前守は睨み付けた。
 と、ピッタリと襖が閉じ、引っ返して行く足音がした。
「妙な奴が覗いたものだ」越前守は苦笑した。
「頭巾を冠り袖無を着、伊賀袴を穿いた香具師風、城内の武士とは思われない。……ははあ、大奥のお伽衆だな」
 その時スッスッと足音がして、軈て襖が静かに開いた。
「お待たせ致しました、いざ此方へ」それは北村彦右衛門であった。
 幾間か部屋を打ち通り、通された所が大広間、しかし誰もいなかった。
「しばらくお待ちを」と云いすてて、また彦右衛門は立去った。
 しばらく待ったが誰も来ない。
「これは可笑しい」と越前守は、多少不安を覚えて来た。
 と、正面の襖が開き先刻隙見をした香具師が、チョロリと部屋の中へ這入って来た。
「これはこれは大岡様、ようこそおいで下さいました。何は無くとも、先ず一献、斯う云う所だが然うは云わねえ。ヤイ畜生飛んでもねえ奴だ! 人もあろうに大岡様に化け、所もあろうに名古屋城内へご金蔵破りに来やがったな! 余人は旨々|誑《たば》かれても、この俺だけは誑かれねえ」
 膝も突かず立ったまま、香具師は憎さげに罵った。
「これよっく[#「よっく」に傍点]聞け大岡様は、成程貴様とそっくり[#「そっくり」に傍点]だが、只一点違う所は、左の眉尻に墨子《ほくろ》がある。どうだどうだ一言もあるめえ!」

     二三

 どうしたものか是を聞くと、越前守は顔色を変えた。しかし依然として、威厳を保ち、グッと香具師を睨み付けた。
「これ莫迦者、何を言うか! 二人大岡がある筈が無い。江戸町奉行大岡忠相、拙者を置いて他にあろうか?」
「アッハッハッハッ、成程なあ。盗賊の身であり乍ら、盗賊を縛る町奉行、大岡様を騙《かた》って来る程の奴一筋縄では白状しまい。……そこで貴様に聞くことがある、一体俺を誰だと思う?」
「うむ」と云うと越前守は、大音上げて呼ばわった。
「城の方々、お出合いなされ! 大盗雲切仁左衛門が、香具師姿に身を窶し、金の鯱を奪おうと、お城に入り込んでございますぞ!」
 バタバタと四方八方から、宿直の武士が現れた。――斯ういけば大いに可いのであったが、一人の捕方も現れず、城中は寂然と静まっていた。
「アッハッハッハッ馬鹿野郎! 途方もねえ大声を上げやあがる。それで一匹の鼠も出ねえ。気の毒千万笑止々々。よし今度は俺の番だ」香具師は矢庭に大声を上げた。「城の方々お出合いなされ、大盗雲切仁左衛門が、大岡越前守に姿を変え、ご金蔵の金を奪おうと、お城へ入り込んでございますぞ!」
 足踏の音、襖を開ける音、股立をとり襷がけ、おっ取り刀の数十人の武士が、今度こそムラムラと現れた。
「雲切仁左衛門、神妙にしろ」
 越前守を取り巻いた。
「ええ、オイ、雲切、どうだどうだ!」
 香具師は愉快そうに笑い出した。
「俺の威光はこんなものさ。鶴の一声利目があるなあ。だが貴様には不思議だろう。俺の素性が解るめえ。……貴様も年貢の納め時、首を切られて地獄へ行き、閻魔《えんま》の庁へ出た時に、誰に手あて[#「あて」に傍点]になったかと聞かれて返辞が出来なかったら、悪党冥利面白くあるめえ。よし、それでは知らせてやろう!」
 片手でツルリと顔を撫でた。と、温室の老人がツルリと顔を撫でた為め、顔が一変したように、香具師の顔も一変した。燐のように光る切長の眼、楔形をした鋭い鼻、貝蓋のような[#「ような」は底本では「やうな」と誤記]薄い唇、精悍無比の若者の顔が、お道化た香具師の顔の代りに、其処へ新たに産れたのであった。
「面ァ見てくれ、雲切仁左衛門!」
「おっ!」
 と云うと睨み上げた。
「や、貴様は大岡越前の……」
「四天王の随一人……」
「ううむ、石子伴作だったか!」
「胆が潰れたか、笑止だなあ!」
「だが大凧を空へ上げ、天主の鯱を狙ったは?」
「何んの鯱を狙うものか、只鱗を調べた迄よ」
「ナニ、鱗を? 何んのために?」
「ついでに云って聞かせてやろう。……大納言様は大腹中、金銀を湯水にお使いなさる。由緒ある金の鯱の、鱗をさえもお剥がしになりお使いなさるという噂、江戸へ聞えて大評判、そこで実否を確かめようと、主人の命で名古屋へ下り、いろいろつまらねえ[#「つまらねえ」に傍点]細工をして、この城内へ入り込んだ迄さアッハッハッ、これで解ったろう!」
 石子伴作は大きく笑った。

 大岡越前守と雲切とが、よく似た容貌を持っていたことは、「緑林黒白」という盗賊篇に、簡単ではあるが記されてある。それを利用して雲切が、越前守の名を騙り、名古屋へこっそり這入り込み、部下の一人を花作りとし、城中の人々を無気力にするため、まず阿片を進めて置いて、それから城中へ堂々と入り、金蔵を破ろうとしたことも、同く、「緑林黒白」にある。
 石子伴作が金鯱調べに、名古屋城内へ入り込んだことも、まんざらの嘘では無いということも、或る名古屋の老人から聞いた。
 お半の方とは何者だろう! もう大方読者の方では感付いていられるかもしれないが、尾張宗春が部屋住時代に、無礼討ちにした伴金太夫、その武士の遺児なのであった。
「居附造り」とは何んなものか? 築城師で無い作者には、残念乍ら解ってはいない。
 さて其後宗春は、どんな生活をしたかというに、覇気も野心もうっちゃっ[#「うっちゃっ」に傍点]て、阿片とそうしてお半の方とに没頭したということである。



※底本にある、かぎ括弧(「」)のあきらかな誤り(『』となっているものや脱字)については、読み易さを優先し本文中とくに注記は入れないこととした。以下、誤りの修正箇所を示す。
[#底本の閉じ括弧は「』」、58−下15]、[#底本の閉じ括弧は「』」、69−上18]、[#底本では閉じ括弧は「』」、75−下18]、[#底本では始め括弧は「『」、96−上5][#底本では始め括弧が脱字、102−上9][#底本では閉じ括弧が脱字、102−下20]

底本:「妖異全集」桃源社
   1975(昭和50)年 9月25日発行
入力:地田尚
校正:小林繁雄
2002年2月18日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全9ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング