、大阪、伊勢等より遊女多く入り込み、随って各種の祭事此時より盛んなり」
「とみに城下は歌吹海となり、諸人昼夜の別無く芝居桟敷へ野郎子供を呼び、酒盛に追々遊女もつれ行き、寒中大晦日も忘れて遊びを事とす」
云々と云ったような有様であった。
が、彼が斯う云ったような、華美軟弱主義を執ったのには、一家の見識があったのであった。
無理想であったのでは無いのであった。
彼は夫れに就いて斯う云っている。
「すべて人といふものは、老たるも若きも、気にしまり[#「しまり」に傍点]とゆるみ[#「ゆるみ」に傍点]なくては万事勤めがたく、中にも好色は本心の真実より出る故、飯食ふと同じ事なり。それ故其場所なければ男女しまり[#「しまり」に傍点]無し。平常召使い候女も却って遊女の如く成り、おのずから不義も多く出来、家の内も調はず、国の風俗までも悪くなりゆく事なり。此度所々に見物所、遊興所免許せしめたるは、諸人折々の気欝を散じ、相応の楽しみも出来、心も勇み、悪いたく[#「いたく」に傍点]固まりたる心も解け、子供いさかひ[#「いさかひ」に傍点]のやうになる儀もやみ、田舎風の士気を離れ、武芸は勿論、家業家職まで
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