九兵衛も首を延ばし、これも鏡面を覗き込んだ。
何が其処に写っていたか? 紫陽花色の月光が、鏡一杯に溢れていた。その中に一人の人間が、首を傾げ乍ら立っていた。それは戸外の光景であった。鏡に写った人物は、八十余りの老人で、胴服を着し、伊賀袴を穿き、夜目に燃えるような深紅の花を、一茎《ひとくき》右手に持っていた。
「気色の悪い爺く玉だ! 毎晩家の前に立ちやァがる[#「立ちやァがる」はママ]」香具師は呻くように呟いた。「それにしても綺麗な花だなあ。見たことのねえ綺麗な花だ。焔が其尽凍ったような花だ。……おや、裏手へ廻りやァがる[#「廻りやァがる」はママ]。へ、篦棒《べらぼう》! 負けるものか!」
円筒に取手が付いていた。その取手をキリキリと廻わした。連れて円筒がグルリと廻った。家の裏手の光景が、鏡の面へ現れた。
その老人は屋根を見上げ、何やら思案に耽っているらしい。と、そろそろと表へ廻った。そこで香具師は取手を廻わした。尚老人は考え込んでいた。
「どうも彼奴ァ俺の苦手だ。構うものか毒吐いてやれ」
香具師はヒョイと手を延ばし、壁から突き出された鉄棒を握り、端に付いている漏斗形の口へ、自分
前へ
次へ
全86ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング