いだのには、鳥渡面白い事件がある。
享保元年のことであったが、七代の将軍家継が僅八歳で薨去した。そこで起こったのが継嗣問題で紀州吉宗を立てようとするものと、尾州継友を迎え[#「迎え」は底本では「迎へ」と誤記]ようとするものと、柳営の議論は二派に別れた。そうして最初は尾州側の方が紀州党よりも優勢であった。
[#底本では1字下げしていない]で継友も其家臣も大いに心を強くしていたが俄然形勢が変わり、紀州吉宗が乗り込むことになった。
尾州派の落胆は云う迄も無い。「だが一体どういう理由から、こう形勢が逆転したのだろう?」
研究せざる[#「せざる」は底本では「せぎる」と誤記]を得なかった。その結果或る事が発見された。家臣の中に内通者があって、それが家中の内情を、紀州家へ一々報告し、それを利用して紀州家では、巧妙な運動を行ったため、成功したのだということであった。
一千石の知行取、伴金太夫という者が、その内通者だということであった。
継友が如何に怒ったかは、説明するにも及ぶまい。だが是という証拠が無かった。処刑することが出来なかった。
この頃宗春は宗家にいた。
「兄上、私が討ち果たしま
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