間で、南北桁行は十七間余、東西梁行は十五間三尺、さて土台の下端から五重の棟の上端までを計ると、十七間四尺七寸五分だが、是が東側となると、更に一層間数を増し、地上から棟の上端まで、二十四間七尺五分あった。
金鯱は棟の両端にあった。南鯱は雌でその高さ八尺三寸五分と註され、北鯱は雄で、稍《やや》大きく、高さ八尺五寸あった。木と鉛と銅と黄金と、四重張りの怪物で、製作に要した大判の額、一千九百四十枚、こいつを小判に直す時は、一万七千九百余両、ところで此金を現価に直すと、さあ一体どの位になろう? 鳥渡見当もつきかねる。名に負う慶長小判である。普通の小判とは質が異う。とまれ素晴らしい金額となろう。
その天主閣で奇怪な音が、夜な夜な聞えるというのであった。
だが毎晩聞えるのでは無く、月も星も無い嵐の晩に、愁々として聞えるのであった。
「金鯱が泣くのではあるまいかな?」などと天主番の武士達は、気味悪そうに囁いた。
「いずれ可く無い前兆だろうよ。……どうも些藩政が弛み過ぎたからな」
時の藩主は宗春で、先主継友の末弟であり、奥州梁川から宗家に入り、七代の主人となったものであった。末弟の宗春が宗家を継
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