来た小林九兵衛は、おや[#「おや」に傍点]と呟いて足を止めた。どう考えても解らなかった。で兎も角も接近し、其家の様子を見ようとした。変哲もない家であった。ただ普通の百姓家であった。表と裏とに出入口があって、粗末な板戸が立ててあった。二階無しの平屋建で、畳数にして二十畳もあろうか、そんな見当の家であった。屋根に一本の煙突があったが、それとて在来《ありふれ》た煙突らしい。
「さて是から何うしたものだ」九兵衛は鳥渡考えた。「本来俺の役目と云えば、住居を突き止めることだけだ。幸い住居は突き止めた。このまま帰っても可い筈だ。……だが何うも少し飽気《あっけ》ないな」そこで彼は腕を組んだ。
 と、明瞭と耳元で、こう云う声が聞えて来た。「腕を組むにゃァ及ばねえ。遠慮なく這入っておいでなせえ」
「え」と云ったが仰天した。「さては何処かで見ているな」で、グルリと見廻した。併し何処にも人影が無かった。田面が月光に煙っていた。立木が諸所に立っていた。立木の蔭にも人はいない。
「家の中から呼んだにしては、声があんまり近過ぎる」思わず九兵衛は小鬢を掻いた。
「小鬢を掻くにゃァ[#「にゃァ」は底本では「にやァ」と誤
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