永い春の日も暮に近く、花見の客も帰り急ぎをした。
 中門の袖に身を隠し乍ら、九兵衛は様子を窺っていた。
 と、香具師は荷物を肩にし、チラリ四辺を見廻わしてから、足早に境内を出て行った。
「よし」と云うと小林九兵衛は、中門の袖からヒラリと出た。
 怪しい香具師、妖艶なお部屋、天主閣での唸き声。……どう事件が展開するか?

     五

 香具師はズンズン歩いて行った。
 今日の地理を以て説明すれば、長島町を西へ執り茶屋町、和泉町を北に眺め、景雲橋の方へ進んで行った。景雲橋を渡り明道橋を渡り、尚何処迄も西の方へ進んだ。もう此辺は城下の外で、向うに一塊此方に一塊、百姓家が立っているばかりであった。いつか日が暮れ夜となったが、十五夜の月が真丸に出て、しくもの[#「しくもの」に傍点]ぞ無き朧月、明日は大方雨でもあろうか、暈《かさ》を冠ってはいたけれど、四辺《あたり》は紫陽花色《あじさいいろ》に明るかった。
 と、一軒の家があった。その戸口まで行った時、香具師の姿は不意に消えた。門の戸の開いたらしい音もなかった。と云って裏手へ廻ったようでもない。文字通り忽然消えたのであった。
 後を尾行けて
前へ 次へ
全86ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング