叛のお心などあった時、多額の軍用資金の貯えがあると、ちと事がむずかしくなる」
「ご尤もにございます」今迄じっと[#「じっと」に傍点]黙っていた三十四五の一人の男が、愁わしそうに合槌を打った。
「全く狂人に刄物だからな」四十男は繰り返した。
「将軍家も夫れをご心配になり、隠密として此俺を、こっそり名古屋へ入り込ませたのだが」
「如何でございましょう御金蔵の中を、何んとかしてお調べ遊ばしては?」
 三十四、五の一人が云った。
「だが是は不可能だよ。俺は江戸の町奉行、江戸のことなら何うともなるが、此土地では何うも手も足も出せない」
「大岡越前守忠相と宣られ、ご機嫌をお伺いにご登城なされ、伝手にご金蔵をお調べになっては?」
「吉田三五郎、白石治右衛門、二人の股肱《ここう》を引き連れて、名古屋へこっそり[#「こっそり」に傍点]這入り込み、二流所の旅籠へ宿り、滞在していたとお聞になっては、尾張様にも快く思われまい」
「では何うして御金蔵の中を?」
 三十四、五の一人物――即ち白石治右衛門が訊いた。
「まずゆっくり滞在し、機会を待つより仕方あるまい」
 この時人の気勢がした。
 廊下に誰かいるらしい。
 辷るように歩く足音がした。
「殿、何者か、私達の話を、立ち聞きしたようでございます」
 吉田三五郎は不安そうに云った。
「うむ」
 と云ったが越前守は、気に掛けない様子であった。

     一八

「旦那、大変でございますよ」
 番頭の顔は蒼褪めていた。
「何んだい番頭さん大仰な」主人の仁右衛門は怪訝そうに訊いた。
「旦那、何んだじゃありませんよ。三人の江戸のお客様、大変な人達でございますよ」
「それじゃあ何かい兇状持かい?」
「飛んでもないことで、大岡様ですよ」此処で番頭は呼吸を継いだ。「大岡越前守様のご一行で」
 そこで番頭は立聞をした、三人の話を物語った。
 主人の仁右衛門は腕を組んだ。
「これはうっちゃって[#「うっちゃって」に傍点]は置けないね。町役人迄届けて置こう」
「それが宜敷うございます」
 そこで仁右衛門は家を出た。
 仁右衛門の話を耳にすると、町役人は仰天した。
 そこで上役に言上した。上役から奉行へ伝言した。奉行から家老へ伝言した。
 成瀬隼人正、竹腰山城守、石河佐渡守、志水甲斐守、渡辺飛騨守の年寄衆は、額を集めて相談した。
「これは何うも大事件だ。江戸の
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