ったものと思われる。成程なあ、あの老人流石に可い事を教えてくれた。こう覿《てき》面にあの薬が、利目があろうとは思わなかった。兎まれ天主閣へ上れるなら、こんな有難え事はねえ。いよいよ大願成就かな」
大須観音境内は、江戸で云えば浅草であった。
その附近に若松屋という、二流所の商人宿があった。
久しい以前から其宿に、江戸の客が二人泊っていた。帳場の主人や番頭は多年の経験から二人の客を、怪しいと睨んでいた。
「どうも商人とは思われないね」
「と云って職人では勿論無し」
「そうして、二人は、友達だと云うが、そんなようにも見えないね」
「あれは主従に相違ありません」
「主人と思われる一人の方は、お大名様のように何となく威厳があるね」
「いや全く恐ろしいような威厳で」
「二人とも立派なお武士《さむらい》さんらしい」
「ひょっとかすると水戸様の、ご微行かなんかじゃあ有りますまいかな。それ一人は光圀様で、もう一人が朝比奈弥太郎」
「莫迦をお云いな、何を云うのだ。水戸黄門光圀様なら、とうの昔にお逝去れだ」
「あっ、成程、時代が違う」
「それは然うと今日はやって来ないね、いつも遣って来る変な老人は」
「そうです今日は来ないようです」
「あれも気味の悪い老人だね」
「年から云えば八十にもなろうか、それでいて酷くピンシャンしています」
「あの人の方が光圀様のようだ」
これが帳場での噂であった。
或日元気の可い三十がらみ[#「がらみ」に傍点]の、商人風の男が、ひょこりと店先へ立った。
「鳥渡お訊ね致します」
「へえへえ何んでございますかね」
「お家に江戸のお客様が、お二人泊って居られましょうね?」
「へえ、お泊りでございます」
「私は江戸の小間物屋で、喜助と申す者でございますが、鳥渡お二人様にお目にかかりたいんだ」
「鳥渡お待ちを」
と云いすてて、番頭は奥の方へ小走って行った。
と、すぐに引っ返して来た。
「お目にかかるそうでございます」
「ご免下さい」
と男は上った。
後を見送った帳場の主人は、首を捻ったものである。
「どうも此奴も小間物屋じゃあねえ」
そこへ番頭が帰って来た。
「今のお客様を何う思うね?」
「さあ」番頭も首を捻った。「矢っ張り何うもお武士さんのようで」
「私は何んだか気味が悪くなったよ」
主人は眼尻へ皺を寄せた。
一七
「私は何んだか気
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