と耳を澄まして中庭の様子を聞こうとしたが何の物音も聞こえない。そのうち次第に眠くなった。これは毎晩のことである。劇《はげ》しい睡眠に襲われて家内一同眠っている間《うち》にいろいろの事がおこるのであった。
「眠ってはいけない、眠ってはいけない」
 こう弥右衛門は呟《つぶや》きながら傍の火鉢から火箸を抜き取りそれを股へ突き立てた。これで眠気は防ぐことが出来る。
 この間も夜は更けて行った。と鳴り出した鐘の音。回向院で撞く鐘でもあろうか。陰々として物寂しい。
 とたんに「ヒェーッ」と帛《きぬ》を裂くような凄じい掛け声が掛かったかと思うとピューッと空を抜く矢走りの音に続いて聞こえる弦返《つるがえ》りの響き! しかしそれより驚いたのは、その次に起こった笑い声であった。
「ワッハッハッ」と暢気《のんき》そうに馬鹿にしたようにまず響いたが、「そんな事じゃ駄目だ、駄目だ。それじゃ獣は殺されねえ。ワッハッハッ」とまた笑う。それは多右衛門の声である。
 その笑い声が途絶えた刹那またも裂帛《れっぱく》の掛け声がした。矢走りの音、弦返りの響き。
「ワッハッハッハッまだ駄目駄目!」と、多右衛門の声がまた聞こえた
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