日置流系図
国枝史郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)潜戸《くぐり》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)職人|頭《がしら》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ひたひた[#「ひたひた」に傍点]と
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    帷子姿の半身

 トントントントントントン……トン。
 表戸を続けて打つ者がある。
「それまた例のお武家様だ……誰か行って潜戸《くぐり》を開けてやんな」
 こう忠蔵は云いながらズラリと仲間を見廻したが俺が開けようというものはない。
 トントントントンとそう云っている間も戸外《そと》では続けざまに戸を叩く、森然森然《しんしん》と更けた七月の夜の所は本所錦糸堀でひたひた[#「ひたひた」に傍点]と並んでいる武家屋敷から少し離れた堀添いの弓師左衛門の家である。家内の者は寝てしまったが宵っ張りの職人達は仕事場に集まり、団扇《うちわ》でパタパタ蚊を追いながら、浮世小路の何丁目で常磐津《ときわず》の師匠が出来たとか柳風呂《やなぎぶろ》の娘は婀娜《あだ》だとか噂話に余念のないさなか、そのトントントンが聞こえて来たのである。
「小六、お前開けてやんな」
 職人|頭《がしら》の忠蔵は中で一番若輩の小六というのへ顎をしゃくったがいっかな小六が聞かばこそ泣きっ面をして首を縮めた。
「チェッ」と忠蔵は舌打ちをしたが、「由さんお前お輿《みこし》を上げなよ」
「へ、どうぞあなたから」――由蔵はこう云うと舌を出したが、にわかにブルッと身顫《みぶる》いをした。さも恐ろしいというように。
「松公、お前立つ気はないか?」
「どうぞお年役にお前さんから……私はどうも戸を開けるのが昔から不得手でございましてね」
「つまらない事云わねえものだ。戸を開けるに得手も不得手もねえ。みんな厭なら仕方がねえ」忠蔵はひょい[#「ひょい」に傍点]と立ち上がったがどこか腰の辺が定《き》まらない。土間へ下りると下駄を突っかけそこから仕事場を振り返り、
「おい確《しっか》り見張っていねえ」
 こう云ったのは忠蔵自身がやはり恐い証拠でもあろう。それでも足音を忍ばせてそっと表戸へ近寄ると潜戸《くぐり》の閂《かんぬき》へ両手を掛けた。
 とたんにトントンと叩かれたのでハッと一足退いたが、連れて閂がガチリと外れ、その音にまたギョッとしながら忠蔵は店へ飛び
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