部屋の片隅に檻がある。幾匹かの猿が眠っている。彼等の商売の道具である。壁に人形が掛けてある。やっぱり商売の道具である。いろいろの能面、いろいろの武器、いろいろの衣裳、いろいろの鳴物、部屋のあちこち[#「あちこち」に傍点]に取り散らしてある。いずれも商売道具である。紙燭《ししょく》が明るく燈《とも》っている。その光に照らされて、そういう色々の商売道具が、あるいは光りあるいは煙り、あるいは暈《ぼ》かされている様が、凄味にも見えれば剽軽《ひょうきん》にも見える。
コン、コン、コンと山羊の咳がした。庭に檻でも出来ていて、そこに山羊が飼ってあって、それが咳をしているのだろう。
だが何より面白いのは、隣部屋から聞こえてくる、いろいろの香具師の口上の、その稽古の声であった。
「耳の垢《あか》取りましょう、耳の垢!」
「独楽は元来|天竺《てんじく》の産、日本へ渡って幾千年、神代時代よりございます。さあさあご覧、独楽廻し!」
「これは万歳と申しまして、鶴は千年の寿《よわい》を延べ、亀は万年《まんねん》を経《ふ》るとかや、それに則った万歳楽《まんざいらく》、ご覧なされい、ご覧なされい」
「仰々《そもそも》神楽《かぐら》の始まりは……」
「これは都に名も高き、白拍子《しらびょうし》喜瀬河《きせがわ》に候[#「候」は底本では「侯」]なり……」
「ヤンレ憐れは籠の鳥、昔ありけり片輪者……」
――などと云う声が聞こえてくる。
隣に香具師の稽古場があって、玄女の率《ひき》いている乾児《こぶん》たちが、それの稽古をしているのらしい。
「それはそうと、ねえお前さん」
玄女は猪右衛門へ話しかけた。
「例の恐ろしい粉薬《こぐすり》だが、どこからお前さん手に入れたのさ?」
9
「あああいつ[#「あいつ」に傍点]か」とニヤニヤ笑い、猪右衛門は得意らしく話し出した。「南蛮寺すなわち唐寺だが、そこから俺ら盗み出したのさ」
「へえ、なるほど、唐寺からね」
「十日ばかり前のことだったよ。俺ら信者に化け込んで、南蛮寺へ入り込んだというものさ。礼拝なんかには用はない、そこで寺内のご見物だ、ズンズン奥の方へ入って行くと、一つへんてこの部屋があった。いろいろの機械が置いてある、二人の坊主が話している。鼠のような獣がいる。と、どうだろう坊主の一人が、罐の中から粉薬を出して、鼠のような獣へ、ちょいとそいつを嗅がしたじゃアないか。するとコロリと斃《くたば》ったってものさ、鼠のような獣がな。恐ろしい恐ろしい恐ろしい魔法! 吉利支丹《きりしたん》の魔法に相違ない! こう最初には思ったが、直ぐその後で感付いたものさ、ナーニあいつ[#「あいつ」に傍点]は毒薬だとな。そこで盗もうと決めっちゃった[#「決めっちゃった」はママ]のさ。そうして隙をうかがって、うまうま盗んだというものさ」
「大成功、褒めてあげるよ」玄女は図々しく笑ったが、「でもそいつを風船へ仕込み、弁才坊殺しを巧んだのは、この妾だからね、威張ってもよかろう」
「いいともいいとも、威張るがいいや。だが成功不成功は、猿若が帰って見なけりゃアね」
「ナーニきっと成功だよ」
「うまく秘密を盗んだかしら?」
「あいつのことだよ、やりそこないはないさ」
恐ろしい話を平然と、二人の男女は話している。
と、猪右衛門はニヤニヤした。
「うまくいったら大金持になれる」
すると玄女もニコツイたが、
「そうなった日には妾なんか、こんな商売はしていないよ」
「俺だってそうさ、香具師《やし》なんかしない。大きな御殿を押し建ててやるさ」
「つまらないことを云ってるよ」
「アッハハ、つまらないかな」
苦く笑ったが猪右衛門はにわかに聞耳を引き立てた。
「どうやら帰って来たらしい」
なるほどその時|門《かど》の戸が、ギーッと開くような音がした。
「おや本当だね、帰ったようだよ」
二人同時に起き上った時、部屋へ駈け込んで来た少年がある。例の風船売の少年である。
「おお猿若か、どうだった?」先ず訊《たず》ねたのは猪右衛門。
「どうだもこうだもありゃッしないよ、うまくいったに相違ないさ」引き取ったのは玄女である。
「そうだろうね、え、猿若?」
「待ったり」と云うと猿若少年、走って来たための息切れだろう、苦しそうに二つ三つ大息を吐き、胸を叩いたがベッタリと坐った。それから喋舌《しゃべ》り出したものである。
「まずこうだ、聞きな聞きな、『秘密の鍵は第三の壁』『この人形を大事にしろ』弁才坊めが云っていたってものさ。ああそうだよ民弥にね。綺麗な綺麗な娘によ。全くあいつア別嬪だなあ。姐ごなんかよりゃアずっと[#「ずっと」に傍点]いいや。……ええとそれから風船だ、飛ばして置いて引いたってものさ、云う迄もないや、糸をだよ。するとパッチリ二つに割れ、パラパラこぼれたのは毒薬だ。と、ムーッと弁才坊……」
「そうかそうか、斃《くたば》ったのか?」こう訊いたのは猪右衛門。
「云うにゃ及ぶだ」と早熟《ませ》た口調、猿若はズンズン云い続ける。「で、窓から忍び込み……」
「偉い偉い、探したんだね」今度は玄女が褒めそやす。
「そうともそうとも探したのさ。目に付いたは人形だ」
「人形なんかどうでもいい、手に入れたかな、唐寺の謎?」
猪右衛門短気に声をかける。
「急くな急くな」と猿若少年、例によって早熟た大人の口調、そいつで構わず云い続けた。
「驚いちゃアいけねえ、喋舌ったのさ。うんにゃうんにゃ呶鳴《どな》ったのさ。喚《わめ》いたと云った方が中《あた》っている。『唐寺の謎は胎内の……』――人間じゃアねえ人形だ! 人形がそう云って喚いたのさ。すると隣室《となり》から民弥さんの声だ。『どうなさいました、お父様』――つまりなんだな、目を覚ましたのさ。『ワーッ、いけねえ、化物だあ!』『いよいよいけねえ、逃げろ逃げろ!』――スタコラ逃げて来たってものさ。ああ驚いた、腹も空いた、一杯おくれよ、ねえご飯を」
「ご飯は上げるが唐寺の謎は?」訳がわからないと云うように、訊き返したのは玄女である。
「唐寺の謎? 俺ら知らねえ」
「馬鹿め!」と立ち上る猪右衛門。
そいつを止めたのは玄女であった。
「まあまあお待ちよ、怒りなさんな。それだけ働きゃアいいじゃアないか。それにさ随分いろいろの為になる言葉を聞いて来たじゃアないか。『秘密の鍵は第三の壁』『この人形を大事にしろ』『唐寺の謎は胎内の……』――ね、どうだい面白いじゃアないか。ひとつ二人で考えてみよう。三つの言葉をくっ付けたら、唐寺の謎だって解けるかも知れない」
玄女は考えに分け入ったが、その間も春の夜が更け、次第に暁《あけ》に近付いた。
そうして全然《すっかり》夜が明けた時、一人の立派な若武士が、弁才坊の家を訪れた。他ならぬ森右近丸であった。
10[#「10」は縦中横]
信長の居城安土の城、そこから船で乗り出したのは、昨日《きのう》の昼のことであった。琵琶湖を渡って大津へ着き、大津から京都へ入ったのは、昨日の夜のことであり、明けるを待って従者《ずさ》もつれず、一人でこうやって訪ねて来たのは、密命を持っているからであった。
庭に佇むと右近丸はまず見廻したものである。
「春の花が妍《けん》を競っている。随分たくさん花木がある。いかにも風流児の住みそうな境地だ。だがそれにしてもこの屋敷は、何と荒れているのだろう。廃屋《あばらや》と云っても云い過ぎではない。世が世なら伊勢の一名族、北畠氏の傍流の主人《あるじ》、多門兵衛尉教之《たもんひょうえのじょうのりゆき》殿、その人の住まわれる屋敷だのに。……貧しい生活《くらし》をして居られると見える」
深い感慨に耽ったようである。
玄関とも云えない玄関へ立ち、「ご免下され」と声をかけた。
「はい」と女の声がして、現われたのは民弥《たみや》であった。
恭しく一礼した右近丸。
「私ことは織田家の家臣、森右近丸と申す者、弁才坊殿にお目にかかりたく、まかりこしましてござります。何とぞお取次下さいますよう」
粗末な衣裳は着ているが、又お化粧もしていないが、自然と備わった品位と美貌、案内に出たこの娘、稗女《はしため》などとは思われない、民弥という娘があるということだ、その娘ごに相違あるまい――こう思ったので右近丸は、こう丁寧に云い入れたのである。
「ようこそお越し下されました。織田様お使者おいでに就《つ》き、父に於きましても昨日《きのう》以来、お待ち致しましてござります。然《しか》るに……」
と云うと娘の民弥は三指をついて端然と坐り、頸《うなじ》を低く垂れていたが、静かに顔を振り上げた。
「一夜の違い、残念にも、お目にかかれぬ身の上に、成り果てましてござります」
「ははあ」と云ったが右近丸には、どうやら意味が解《わか》らないらしい。「それは又何故でござりますな?」
「逝去《なくな》りましてござります」
「死《なく》なられた※[#感嘆符疑問符、1−8−78] 誰が※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と右近丸。
「父、多門兵衛尉」
「真実かな※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」一歩進んだ。
「真実! 昨夜! 弑《しい》せられ!」
「何!」と叫んだが右近丸は、心から吃驚《びっくり》したらしい。「弑せられたと仰有《おっしゃ》るか※[#感嘆符疑問符、1−8−78] そうして誰に※[#感嘆符疑問符、1−8−78] 何者に※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「下手人不明にござります」
「ム――」と云ったが右近丸は思わず腕を組んでしまった。
朝風に桜が散っている。老鶯が茂みで啼いている。
それを背景にして玄関には、父を失い手頼《たよ》りのない、美しい民弥が頸垂《うなだ》れている。その前に右近丸が立っている。若くて凜々しい右近丸が。
まさに一幅の絵巻物だ。
さてその日から数日経った。
「物買いましょう、お払い物を買いましょう」
こういう触声《ふれごえ》を立てながら、京を歩いている男があった。他ならぬ香具師《やし》の猪右衛門《ししえもん》である。古道具買《こどうぐか》いに身をやつし[#「やつし」に傍点]、ノサノサ歩いているのである。
足を止めたのは南蛮寺の裏手、民弥の家の前であった。
「家財道具やお払い物、高く買います高く買います」一段と声を張り上げて、こう呼びながら眼を光らせ、民弥の家を覗き込んだ。
11[#「11」は縦中横]
民弥の家の一つの室《へや》では二人の男女が話していた。
その一人は民弥であり、もう一人は右近丸であった。
父を失い孤児《みなしご》となった、民弥の身の上を気の毒がり、右近丸は見舞いに来たのである。しかし勿論一方では、殺された不幸の弁才坊が、生前研究した唐寺の謎の、研究材料を探し出し、主君信長公の命令通り、高価の金で買い求めようと、そうも考えて来たのであった。
窓から昼の陽が射し込んでいる。室《へや》が明るく輝いている。生前の弁才坊の研究室であり、また殺された室でもあった。秘密を保とうためなのだろう、四方板壁でかこまれた、紅毛振の室である。その一方に扉がある。紅毛振の扉である。扉と向かい合った一方の壁には、巨大な書棚が据えてある。書棚には本が積んである。巻軸もあれば帙入《ちついれ》もある。西班牙《スペイン》文字の本もある。いずれも貴重な珍書らしい。扉を背にして左の壁に、穿いているのが窓である。扉を背にして右の壁に、懸けてあるのは製図である。室の広さ十五畳敷ぐらい、そこに置かれてある器物といえば、測量機、鑿孔機《さくこうき》、机、卓、牀几《しょうぎ》というような類である。窓から投げ込まれる春の陽に、それらのものが艶々と光り、また陰影《かげ》を印《つ》けている。
極めて異国趣味の室である。
牀几に腰かけた二人の男女、民弥《たみや》とそうして右近丸《うこんまる》、清浄な処女と凜々しい若武士《わかざむらい》、この対照は美しい。
「秘密の鍵は第三の壁、こう確かに弁才坊殿には、仰せられたのでございますな?」いずれ話の続きだろう、こう訊いたのは右近丸。
「はい、さようでござ
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