います」こう答えたのは民弥である。直ぐに後を云いつづけた。「弑《しい》せられる日の夕暮方、父が申しましてございます。秘密の一端明かせてやろう、室へおいで、来るがよいと……で、この室へ参りましたところ、父が申しましてございます。『秘密の鍵は第三の壁』それから更に申しました。『この人形を大事にしろ』ただそれだけでございました。どうやら父と致しましては、もっともっと何か詳しいことを、話したかったのでございましょう、そう申してからもしばらくの間考え込んで居りましたが、その中《うち》日が暮れて宵となり、そこの窓から何者か――近所の子供だとは存じますが、覗いているのを目つけますと、フッツリ黙り込んでしまいました。あの時子供さえ覗かなかったら、きっときっとお父様は、もっともっと詳しいお話を、お話し下されたことと思われます。詳しく聞いてさえ居りましたら、研究材料の有場所など、直ぐにも知ることが出来ますのに、ほんとに惜しいことをいたしました。憎らしいは子供でございます。つまらない[#「つまらない」に傍点]はお父様でございます。ほんとにつまらない[#「つまらない」に傍点]お父様! そんな子供の立聞などに、神経を立てなければようございましたのに。ほんとにつまらない[#「つまらない」に傍点]お父様!」
 民弥はこんなことを云い出した。「ほんとにつまらない[#「つまらない」に傍点]お父様だ」などと……これでは死んだ自分の父を、攻撃《せ》めているようなものである。しかも民弥の云い方には、楽天的の所がある。また快活な所がある。父の死んだということを、悲しんでいるような様子がない。道化てさえもいるのである。一体どうしたというのだろう? 民弥はそんな不孝者なのだろうか? いやいやそうとは思われない。民弥と父の弁才坊とは、真実の親子でありながら、まるで仲のよいお友達のように、道化た軽口ばかり利き合っていた。それが全然習慣となって、父の逝くなった今日でも、そんなに快活で楽天的で、道化てさえもいるのだろうか? もしそうなら民弥という娘は、不真面目な女といわなければならない。否々そうでもなさそうである。では何かその間に、云われぬ秘密がなければならない。どっちみち民弥の言葉や態度には、道化たところがあるのであった。
 そういう民弥の様子に対し、森右近丸は不審を打った。しかし不審は打ったもののメソメソ泣かれたり悲しまれたり、訴えられたりするよりは、却って気持はよいのであった。「勿論心中では悲しみもし、又嘆いてもいるのだろうが、非常にしっかりした性質なので、努めて抑え付けているのだろう。そうして故意《わざ》と快活に、そうして故意と道化たように、振舞っているに相違ない。ではこっちもその意《つもり》で、それに調子を合わせて行こう」――これが右近丸の心持であった。
 で右近丸は云ったものである。
「いや全く弁才坊殿は、つまらない[#「つまらない」に傍点]お方でございましたよ。訳のわからない暗号のような、変な謎語を残しただけで、死んでしまったのでございますからな。……先ずそれはそれとして、せっかく残された二つの謎語、うっちゃって[#「うっちゃって」に傍点]置く事も出来ますまい。解いてみることにいたしましょう。ひょっとすると[#「ひょっとすると」に傍点]この謎語に、唐寺の謎を解き明かせた、研究材料の有場所が語られてあるかもしれません」
 で右近丸は考え込んだ。

12[#「12」は縦中横]

 考え込んでいた右近丸が、ヒョイと牀几《しょうぎ》から立ち上り、室《へや》の真中へ出て行ったのは、やや経ってからの後の事であった。
 と右近丸は云い出した。
「第三の壁という言葉の意味、どうやら解《わか》ったようでございますよ。物の方角を現わすに、東西南北という言葉があります。そこでこの室《へや》の真中に立ち、東西南北を調べてみましょう。そうして東西南北を、一二三四に宛て嵌めてみましょう」ここで右近丸は片手を上げ、一方の壁を指さした。「そっちが東にあたります。で、そっちにあるその壁を、第一の壁といたしましょう」右近丸はグルリと振り返えり、反対の壁を指さした。「そっちが西にあたります。で、そっちにあるその壁を、第二の壁といたしましょう」ここで右近丸は身を翻えし、書棚のある壁を指さした。「そっちが南にあたります。で、そっちにあるその壁を、第三の壁といたしましょう。即《すなわ》ち」と云うと右近丸は、民弥へ向かって笑いかけた。「書棚の置いてある南側の壁が、第三の壁でございます」
 こう云われたので娘の民弥はなるほどとばかり頷いた。
「よいお考えでございますこと、大方《おおかた》その通りでございましょう。ではその壁の。……その書棚の……書棚の中の書物《ほん》のどこかに、唐寺の謎を解き明かせた、研究材料の有場所が、記されてあるかもしれません」
「さよう即ち秘密の鍵が、隠くされてあるかもしれません。どれ」と云うと右近丸は、ツカツカ書棚の前へ行き、一渡り書物を眺めてみた。が書物の数は非常に多く、いずれも整然と並べてあり、一々取り上げて調べていた日には、手数がかかって遣りきれそうもなかった。だがその中の一冊の書物が、特に右近丸の眼を引いた。何の変わったところもない、帙入《ちついれ》の書物ではあったけれど、その書物だけが奇妙にも、逆さに置かれてあるのであった。即ち裏表紙を上へ向けて、特に置かれてあるのであった。
「はてな?」と呟いた右近丸ツトその書物を取り上げたが、まず帙《ちつ》からスルリと抜き出し、それからパラパラと翻《めく》ってみた。と、どうだろう、何にも書いてない。全体がただの白紙なのである。――と思ったのは間違いで、書物の真中《まんなか》と思われる辺りに、次のような仮名文字が記されてあった。
[#ここから3字下げ]
「くぐつ、てんせい、しとう、きようだ」
[#ここで字下げ終わり]
 何のことだか解《わか》らない。どういう意味だか解らない。呪文のような文句である。
「おかしいなあ、何のことだろう?」
 文字を見詰めて右近丸は、しばらく熟慮したけれど、意味をとることは出来なかった。
 で、そのまま書物を閉じ、帙へ入れると書棚へ返し、それから改めて卓《たく》の上の、人形を取り上げて調べたが、奈良朝時代の風俗をした、貴女人形だというばかりで、これと云って変わったところもない。
 悉皆目算は外れたのである。
 失望をした右近丸は、佇んだまま考えている。
 同じように失望した娘の民弥は、これも佇んで考えている。
 唐寺の鐘の鳴る頃である。夕の祈りをする頃である。永い春の日も暮れかかってきた。
「明日また参るでございます」
 別れを告げた右近丸が、民弥の屋敷を立ち出でたのは、それから間もなくのことであった。心にかかるは謎語であった。
「『くぐつ、てんせい、しとう、きようだ』……何のことだろう? 何のことだろう?」
 南蛮寺の横を歩いて行く。
 森右近丸が帰ってしまうと、やっぱり民弥は寂しかった。そこで一人で牀几《しょうぎ》に腰かけ、窓から呆然《ぼんやり》と外を眺め、行末のことなどを考えた。
 窓外の春は酣《たけなわ》であった。桜はなかば散ってはいたが、山吹の花は咲きはじめていた。紫蘭《しらん》の花が咲いている。矢車の花が咲いている。九|輪草《りんそう》[#ルビの「りんそう」は底本では「りんさう」]が咲いている。そこへ夕陽が射している。啼いているのは老鶯である。と、駒鳥の啼声もした。
 それらの物を蔽うようにして、高々と空に聳えているのは、南蛮寺の塔であった。夕陽を纏っているからであろう、塔の頂が光っている。
「これからどうしたらいいだろう?」ふと民弥は呟いた。「お父様は南蛮寺へお送りした。だからその方の心配はない。でもお父様がおいでなされない以上、誰も稼いでくれ手はない。妾《わたし》のお家は貧乏だ。食べるものにさえ事欠いている。どうしてこれから食べて行こう? 妾が町へ出て行って物乞いしなければならないかしら? でも妾は恥かしい。妾にはそんな事出来はしない。でも稼がなければ食べられない。お裁縫でもしようかしら? でも頼み手があるだろうか? ……南蛮寺の謎を解き明かせた、研究材料さえ目つかれば、安土に居られる信長卿が、高価にお買い取り下さると、右近丸様は仰有《おっしゃ》ったけれど、何時になったら研究材料が目付かるものやら見当がつかない。……これから毎日右近丸様が、お訪ね下さるとはいうけれど、生活《くらし》のことまでご相談は出来ない。ああどうしたらいいだろう?」
 民弥はこれからの生活について心を傷めているのであった。
 その民弥の苦しい心を、見抜いて現われて出たかのように、窓からヒョッコリ顔を出したのは、古道具買に身を※[#「にんべん+肖」、第4水準2−1−52]《やつ》した、香具師《やし》の親方|猪右衛門《ししえもん》であった。
 ジロジロ室《へや》の中を覗いたが、声を張り上げると云ったものである。
「家財道具やお払い物、高く買います高く買います」諂《へつら》うように笑ったが「これはこれはお嬢様、綺麗な人形がございますな。お売り下さい買いましょう。小判一枚に青差一本、それで買うことに致しましょう」ここでヒョッコリとお辞儀をしたが、その眼では卓の上の人形を、じっと睨んでいるのであった。

13[#「13」は縦中横]

 小判一枚に青差一本! これは実際|民弥《たみや》にとっては、大変もない誘惑であった。それだけの金が今あったら、相当永く生活《くらす》ことが出来る。そこで民弥は考えた。
「この人形を大事にしろ!」こうお父様は仰有ったけれど、どういう意味だか解《わか》らない。元々あれは妾《わたし》の物だ。逝くなった妾のお母様が、妾に買って下されたものだ。それを中頃お父様が、どうしたものかお取り上げになった。そうしてどうやら人形のどこかへ、何か細工をなされたようだ。でも真逆《まさか》に人形の中に、南蛮寺の謎を解き明かせた秘密の研究材料など、隠してあろうとは思われない。売っても大事はないだろう。第一背に腹は代えられない。よしやどんなに人形が大事なものであろうとも、食べられなければ売らなければならない。売ってしまおう売ってしまおう。そうして当座の中《うち》だけでも、生活を楽にすることにしよう。
 そこで、民弥は切り出した。
「大事な人形ではございますが、小判一枚に青差一本、それでお買い取り下さるなら、お売りすることに致しましょう」
 すると猪右衛門は頷いたが、やがてこんなことを云い出した。
「実はな」と薄っぺらな能弁である。「こういう訳でございますよ。ナーニ商売の道から云えば、奈良朝時代の貴女人形、大した値打もありませんので。精々がところ青差二本……ぐらいな物だと思いますので。ところが小判を一枚はずみ、そこへ青差を一本付け、相場違いの大高値で、譲っていただこうというのには、他に目的がありますからで。と云うのは人形のその中に、南蛮寺の謎を解き明かせた……オットドッコイ口が辷《すべ》った。ナニサナニサそうではない。つまり人形がよいからで。と云うのはそいつが喋舌《しゃべ》るからで。さようでございます。人形がね。何と喋舌るかと云いますと、『唐寺の謎は胎内の』オットいけねえ、軽はずみな、またまた口が辷ってしまった。アッハハハ馬鹿な話で、何のお嬢様、人形などが、何の物など云いましょう。へいへい物など云いませんとも、いえナニ物でも云いそうな程、さも活々とよく出来た、結構な人形でございますので、そこで高値にいただこうと、こういう次第なのでございますよ。では」と云うと猪右衛門は懐中《ふところ》へ腕を差し込んだが、ヒョイと抜き出すと掌《てのひら》の上に、小判を一枚のっけている。「まず小判、お取りなすって」もう一度懐中へ手を入れたが、取り出したのは青差である。「これは青差、お取りなすって」
「はいはい確かに受け取りました」
 こう云うと民弥は窓越しに、小判と青差とを受け取ったが、引き返すと卓の側《そば》へ行き、卓に載せてある人形を、優しく
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