された。
 それを唐寺のオルガンチノ僧正が、唐寺へ引取り介抱し、その間吉利支丹宗旨なるものの、邪宗でないことを説明したので、弁才坊は翻然悟り、黄金の在場所を未来永劫、他人に知らせないようにしたのであった。
 その翌年の春が来た時、右近丸と民弥との結婚式が、織田信長の仲人の下に、安土城内において行なわれた。その客の中には改心をした猿若が、可愛らしいお小姓の姿をして、嬉しそうに雑っていた。栄達を嫌い隠遁をし、吉利支丹宗徒となった弁才坊も、この日は特に美々しく着飾って、出席したことは云う迄もない。
 洛中洛外にはびこっていたところの、姦悪の人買の連中を、信長が指揮して根絶やしにしたのは、それから間もなくのことであり、その中には桐兵衛一味がいて、いずれも捕らえられて殺された。
「処女造庭境」に蟠踞《ばんきょ》していた唐姫の一党はどうしたか?
 信長に楯突くの非を悟り、関東の方へ居を移し、広大な山間の地域を領し、女ながらも大豪族として、永く栄えたということである。



底本:「国枝史郎伝奇全集 巻三」未知谷
   1993(平成5)年3月20日初版発行
初出:「少女倶楽部」
   1927(昭
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