たのであった。しかし一人に大勢であった。先《ま》ず懐刀を奪い取られ、続いて足を攫われた。悲鳴を上げたが駄目であった。
縛られてこの部屋へ入れられたのである。
「ああどうしたらいいだろう?」
民弥はじっと[#「じっと」に傍点]考え込んだ。
人買共の話声が、階下から遠々しく聞こえてくる。
隣部屋から泣声がする。やはり民弥と同じように捕らえられた不幸な娘たちが、監禁されているのだろう。
「ああどうしたらいいだろう」
またも民弥は呟いた。
と、にわかに笑声が、階下の座敷から聞こえてきた。続いて人買の親方の桐兵衛の喋舌《しゃべ》り声が聞こえてきた。
「ヨーこいつはいい所へ来た、遠国廻りのお仲間か。さあ上るがいい上るがいい。ちょうど上玉が一人ある。早速売り渡すことにしよう」
――どうやら鴨川から上陸した、遠国廻りの人買が、桐兵衛の家へ着いたらしい。
だがその時一枚の雨戸が音もなく戸外からスルスルと開けられ、顔を覗かせた子供があった。
誰なのか、猿若である。
しかしその時階段を上る、人の足音が聞こえてきた。桐兵衛の手下の人買が、民弥を連れに来たのらしい。
25[#「25」は縦中横]
最初に部屋へ入り込んだは、幸いにも猿若少年であったが、こう民弥《たみや》へ囁いた。
「声を立てちゃあいけませんよ。俺らは怪しい者ではない。お前さんを助けに来たものだ。さあさあ逃げたり、お逃げお逃げ! オッとそうそう縛られていたっけ。これでは逃げるにも逃げられめえ。よしきた俺らが解《と》いてやろう。……いやいやそれでは間に合わない。切ってしまおう切ってしまおう!」
常時《いつも》懐中《ふところ》に用意している小刀を引き抜くと、バラバラと縄を切り払ったが、「さあさあこっちだ、裏から逃げよう、まごまごしていると取っ捉まる。……お聞きよお聞きよ、足音がする! 人買共の足音だ! 入って来られたら大変だ! 目つけられたら大事になる! ……俺らの身分は後から云う! ……心配はいらない心配はいらない! ……黙って付いて来るがいい」
こうして民弥を裏口から下ろし、自分も裏庭へ飛び下りたとたん、人買共がドヤドヤと、戸口から部屋の中へ入って来た。
「おっ、どうした、居ないではないか!」こう呶鳴《どな》ったのは例の一ツ目。
「やっ、裏口が開いていらあ」続いて叫んだのは勘八であったが、直ぐに裏口へ飛んで行った。
「大変だ大変だ。逃げて行く! ……おっ、一人は小僧ッ子だ!」
「どれどれ」と一ツ目も覗いたが、「一人は民弥だ! 一人は猿若!」
「それじゃア猿若が裏から忍んで、助け出したに違いない! とんでもない小僧だ、うっちゃっては置けない」
バタバタと駈け下りた人買共は階下へ下りると叫び立てた。
「親方、やられた、攫われた!」こう云ったのは勘八である。
「何を!」と立ち上ったは柏野の里の桐兵衛、「何だ何だどうしたんだ?」
「何だじゃない、大変だ、あの小僧ッ子の猿若めが、民弥を攫って行ったんだよ!」
「え、ほんとうか、途方もねえ話だ! あんな素晴らしい上玉を、あんな小倅に横取られた日にゃア、俺らの商売は成り立たない! さあさあ皆な追っかけろ!」
「それ!」と云うと人買共は親方の桐兵衛を真先に、裏口から一散に走り出したが、もうこの頃には民弥と猿若は、数町のあなたを走っていた。
「さあさあ民弥さん、お走りお走り! ぐずぐずしていると取っ捉まる。取っ捉まったらもういけない。それこそ酷い目に逢わされる。売られるだろう売られるだろう。それも遠くへ売られるのだ。二度と都へは帰れない。……おやいけない。足音がする。あッいけない追っかけて来る。力一杯逃げたり逃げたり!」
で、二人は走って行く。
この辺りは郊外で人家に乏しく、林や藪が立っている。すなわち小北山の山脈で、道らしい道も出来ていない。たとえ助けを呼んだところで、助けにやって来る人はない。でどうしてもひた走って、町の方へ出なければならないのである。
おりから月夜で物の影が見え、逃げて走るには不便であった。隠れることもむずかしく、横へ反れることもむずかしい。でどこ迄も逃げなければならない。
南へ走れば町へ出られる。東へ走っても町へ出られる。だがもし北の方へ走ろうものなら、南鷹ヶ峰の山地となり、そうして西の方へ走ろうものなら、小北山から衣笠山となり、同じく町へは出られない。
26[#「26」は縦中横]
ところが人買の追手達は、東の方から走って来る。だから東へは逃げられない。どうでも南へ逃げなければならない。ところがそっちへも逃げられなかった。と云うのは人買の追手共が、にわかに同勢を二つに分け、一手が南へ廻ったからである。で二人は残念ながら、西へ西へと逃げることになった。
一人は子供で一人は娘、足の弱いのは知
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