呟いて空を見上げたが、決して決して今日に限って、日が永いのではなさそうである。
 次第に夕空が暮れてきた。
「もうよかろう、さあ仕事だ」
 木立を離れると猿若少年はもと来た方へ引っ返した。

 ところが同じ日のことであったが、鴨川の水を溯り、一隻の小舟が駛《はし》っていた。
 四五人の男が乗り込んでいる。
 いずれも不逞の面魂で、善人であろうとは思われない。
 夕陽が川水を照らしている。今にも消えそうな夕陽である。
「久しくよい玉にぶつからない。……今日はそいつ[#「そいつ」に傍点]にぶつかりたいものだ」
 顔に痣のある男である。
「桐兵衛爺と来た日には、人攫いにかけては名人だ、いずれ上玉の三つや四つは、仕込んでいるに相違ない。真っ先に桐兵衛を訪ねよう」
 兎唇《みつくち》の若い男である。
 ひそやかに小舟は進んで行く。
 この時代における鴨川は、水量も随分たっぷり[#「たっぷり」に傍点]とあり、小舟も自由に往来した。
 夕陽が次第に薄れてきた。
 まばらの両側の家々や、木立に夜の色が滲んできた。
 櫓《ろ》の音を盗んで忍びやかに、小舟は先へと進んで行く。
 これは人買の舟なのであった。乗っている四五人の人間は、諸国廻りの人買なのであった。
「この辺りでよかろう、舟を纜《もや》え」
 で小舟は岸へ寄せられ、傍らの杭に繋がれてしまった。
「さあさあ桐兵衛の隠家《かくれが》へ行こう」
 夕暗の逼ってきた京の町を、柏野の方へ歩き出した。
 しかるにこの頃北山の方から、異形の人数が五人揃って、京都の町の方角へ、陰森とした山路を伝いストストストストと下っていた。

24[#「24」は縦中横]

 一人は上品な老女であった。すなわち他ならぬ浮木《うきぎ》であった。
 後の四人は武士であった。が風俗は庭師である。その一人は銅兵衛《どうべえ》であり、もう一人は三郎太であった。その他の武士は部下らしい。
 そうしてこれ等は云う迄もなく、処女造庭境を支配している唐姫《からひめ》という女の家来なのであった。
「民弥という娘を捕らまえて、唐姫様のお言葉を、是非ともお伝えしなければならない」
 こう云ったのは浮木である。
「しかしくれぐれも云って置くが、決して手荒くあつかってはいけない。丁寧に親切にあつかわなければならない」
「かしこまりましてございます」
 こう云ったのは三郎太である。「丁寧にあつかう[#「あつかう」に傍点]でございましょう」
「南蛮寺の裏の貧しい家に、住居《すまい》をしているということだ」
 またも浮木は云い出した。
「で慇懃に訪れて、事情を詳しく話すがいい」
「承知いたしましてございます」こう答えたのは銅兵衛である。
「唐姫様が仰せられた、お前達ばかりをやった[#「やった」に傍点]日には、人相が悪く荒くれてもいる、恐らく民弥という若い娘は怯えて云うことを聞かないだろうと。で妾《わたし》も行くことになったが、憎い信長の管理している、京都の町を見ることは、この妾としては好まないのだよ」
「ご尤も千万に存じます」頷いたのは三郎太で「しかし我々が長い年月、心掛けていました南蛮寺の謎が、解かれることでございますから……」
「そうともそうともその通りだよ。だから妾も厭々ながら、京都の町へ行くというものさ。……が民弥という娘ごが、この私達の云うことを、順直《すなお》に聞いてくれないことには、その謎も解くことは出来ないだろう」
「もし民弥という娘ごが、不在でありましたら如何《いかが》したもので」不安そうに聞いたのは銅兵衛であった。
「さあそれが心配でね」浮木の声は心配そうである。
「だが大概は大丈夫だろう。若い娘のことであり、父に死なれたということではあり。それにもう今日も夜になった、町など歩いてはいないだろう、大方は家にいるだろう」
 で一同は歩いて行く。
 どうやら話の様子によれば娘の民弥に用があって、民弥の家へ行くのらしい。
 しかし肝心のその民弥が、家にいないことは確かである。桐兵衛という人買の家に、捕らえられている事は確かである。
 一同は山を下って行く。ズンズンズンズン歩いて行く。
 誰が民弥を手に入れるだろう?
 うまく猿若が助け出すかしら?
 遠国廻りの人買共が、それより先に買い取るだろうか?
 それとも浮木の一団が、民弥の居場所を探し出すかしら?
 とにかく一人の民弥を挿んで、三方から三通の人達が、競争をしているのであった。
 ところで肝心のその民弥であるが、この頃どうしていただろう。
 恐ろしい人買の桐兵衛の家の、真暗な二階の一室に厳重に監禁されていた。
 雨戸がビッシリと閉ざされている。出入口も厳重に閉ざされている。逃げ出すことは絶対に出来ない。その上両手は縛られている。開けようとしても開けることが出来ない。
 彼女は格闘し
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