う云ったのは一ツ目であった。
 続いて勘八が声をかけた。「素敵な玉でございますなあ」
「ざっと[#「ざっと」に傍点]した所がこんなものさ」老人は凄じく笑ったが、娘の方を振り返った。「何とか云ったね、民弥さんか! 大概は見当が付いたろうが、ここに居るのは人買だ。そうしてここは人買宿、そうして私は人買の頭、柏野の里の桐兵衛《きりべえ》だよ。……もう、いけない観念おし、どんなに泣こうが喚こうが、ここへ一旦来たからには、一足も外へは出られない。と云って殺すというのではない。当分大事に飼って置き、行儀作法を教えてから、遠国の大名や金持や、廓の主人へ売り渡す。……ナーニ大して心配はいらない。ちょっと心さえ入れ変えたら、案外立身出世もする。だからよ、万端、委《ま》かして置きな。……オイ野郎共!」と手下を見た、「二階へ連れて行くがいい、手に余るほどあばれ[#「あばれ」に傍点]たら、体に傷の付かぬよう、革の鞭で手足を引っ叩け!」
「合点《がってん》」と云って立ち上ったは、例の小男の勘八であった。
「さあ娘ッ子、二階へ行こう」
 むっと民弥の手を取ったが、その結果は意外であった。あべこべに民弥に腕を取られ、グッと逆手に返されたのである。
「さてはお前達は悪人だね!」
 いわゆる裂帛の声である! 勘八を向うへ突き倒し、その手を帯へ差し入れたが、抜いて握ったは嗜《たしな》みの懐刀、振り冠ると凜々しく叱咤した。
「そうとも知らず連れ込まれたは、妾《わたし》の油断には相違ないが、ムザムザ手籠に逢うものか! 武士の娘だ、あなどってはいけない!」
 壁を背後《うしろ》にピッタリと背負《しょ》い、褄《つま》を片手にキリキリと取り上げ、振り冠った懐刀に波を打たせ、荒くれ男の十数人を、睨んだ様子というものは、若くて美しい娘だけに、凄くもあれば立派でもあった。
 驚いたのは人買共である。
23[#「23」は縦中横]
 一整《いっせい》に立ち上ったが呶鳴り出した。
「油断をするな、大変な娘だ!」
「一度にかかって手捕りにしろ!」
「相当武芸も出来るらしい。甘く見込んで怪我するな」
 そこで一同ダラダラと並び、隙を狙って飛びかかろうと、民弥の様子をうかがった。
 飛び込んで来い! 叩っ切る! 敵《かな》わぬまでも防いで見せる! そうして一方の血路《けつろ》をひらき、この屋敷から逃げて見せる! ――民弥は民弥で決心を固め、四方へ眼を配ったが、敵は大勢、民弥は一人、多少武芸の心得はあるが、腕力では弱い女である、助太刀する者がなかったら、ついには手取りにされるだろう。そうなった日には最後である。他国へ売られてしまうだろう。
 父は何者かに殺されてしまった。手頼りに思った右近丸は、どこへ行ったか行方が知れない。それだけでさえ不幸なのに、その上他国へでも売られたら、いよいよ不幸と云わなければならない。
 助ける者はないだろうか?
 人買共は逼《せま》って来る。
 助ける者はないだろうか?
 だがこの時何者だろう、家から飛び出した者がある。
 例の猿若少年であった。
 門口から民弥へ声をかけた。
「おい民弥さん民弥さん、往生して捕虜になるがいい。ジタバタ騒ぐと怪我をするぜ。捨てる神があれば助ける神がある。機会をお待ちよ機会をお待ちよ。宣《なの》って上げよう猿若だよ!」
 ポイと往来へ飛び出したが、数十間走ると足を止め、腕組みをすると考え込んだ。
「気の毒だなあ、民弥さんは。……どうも大変なことになった。……あの人の人形を盗もうとしたり、お父さんを殺しはしたものの、本心からやったことではない。親分の指図でやった事だ。……俺らの本心から云う時は、綺麗な民弥さんは好きなのだ、人買の奴等に捕らえられ、他国へ売られては可哀そうだなあ。多勢に一人、殊には女、捕らえられるは知れている。……どうぞして助《たす》けてやりたいものだ」
 この猿若という少年は、元から悪童ではなさそうである。境遇が悪童にしたようである。
 そこで民弥の不幸を見るや、本来の善心が甦えり、真から民弥を助けようと、どうやら考えに沈んだらしい。
 ここら辺りは郊外である。人家もまばらで人通りも少い。木立があちこちに茂っている。その木立へ背をもたせ、夕暮の陽に染まりながら、猿若はいつ迄も考えた。
「……他に手段はなさそうだ。うまく忍び込んで連れ出してやろう。……家の案内は知っている。……裏庭へ入り込み壁をよじ、二階の雨戸をコジ開けてやろう。……と云って日中は出来そうもない。宵闇にまぎれ[#「まぎれ」に傍点]てやってやろう。ナーニ目つかったら目つかった時だ、何とかごまかしが付くだろう、付かなかったら仕方がない、戦うばかりだ、戦うばかりだ。……だがそれにしても今日の日は、どうしていつ迄も暮れないんだろう。同情のないお日様だよ」
  
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