中であった。人に見られようが笑われようが、心に掛けようとはしなかった。一刻も早く右近丸様に、逢いたい逢いたいと思うのであった。
 二人はズンズン走って行く。
22[#「22」は縦中横]
 ここは柏野の一画である。
 そこに一軒の家があった。
 見掛けは極めて陰気ではあったが内は反対に陽気であった。
 その陽気な奥の部屋に、十五六人の男がいた。
 歌をうたっている者、酒を飲んでいる者、詈っている者、議論している者、取っ組み合っている者もある。いずれも兇相の連中である。その風俗も様々である。神主風の者もある。商人風の者もある。坊主風の者もある。武士姿をした者もあれば、香具師《やし》風をした者もある。老人もいれば若者もいる。女も二三人雑っている。
 ガヤガヤみんな喋舌《しゃべ》っている。
「近来は思わしい仕事がない」
「こう不景気では仕方がない」
「地方へ行かなければならないだろう。都に仕事がないのだから」
「今日も戦、昨日《きのう》も戦、地方へ行くと戦ばかりだ、若武者の鎧を引っ剥いでも、相当の儲けはあるだろう」
「逃げまどう落城の女どもを引っ攫うのもいいだろう」
 突然一人が歌い出した。
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※[#歌記号、1−3−28]人買船の恐ろしや
[#ここで字下げ終わり]
 するともう一人が後を続けた。
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※[#歌記号、1−3−28]どうせ、売らるる身じゃほどに
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 するともう一人が後を続けた。
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※[#歌記号、1−3−28]しずかに漕ぎやれ船頭殿
[#ここで字下げ終わり]
 人買船の歌なのである。
 とその時奥の部屋から女の泣声が聞こえてきた。
「まだあの女は泣いているわい」
「どうせ売られて行く女だ、思うさま勝手に泣くがいい」
 昼だというのに部屋の隅に、幾本か紙燭《ししょく》が燈《とも》されている。話声を戸外へ洩らすまいと、雨戸を閉ざしているからである。壁には影法師が映っている。床の上では狼藉《ろうぜき》とした、銚子や皿小鉢が光っている。
 綺麗な娘を攫って来て、遠い他国へ売り渡す、恐ろしい恐ろしい人買共の、此処は巣であり会所なのであった。
 そうしてここにいる人間どもは、その恐ろしい人買なのであった。
 と、部屋の片隅に、壁へ背中をもたせかけ、考え込んでいる少年があった。刳袴《くくりばかま》に袖無《そでなし》を着、鬱金《うこん》の頭巾を冠っている。他でもない猿若《さるわか》である。悪人には悪人の交際《まじわり》があり、人買の一味と香具師の一味とは、以前《まえ》から交際を結んでいた。で猿若も前々から、よくここへは遊びに来た。
 だがどうしたのだろう猿若少年、今日はいつも程に元気がない。深い考えに沈んでいる。
「おい猿若よ、はしゃげはしゃげ!」
 こう一人が声をかけた。片腕のない小男であった。勘八という人買であった。
「それどころじゃアありませんて」猿若の声は物憂《ものう》そうだ。
「親方の行方《ゆくえ》が知れないんで」
「へえ、そいつは不思議だね」もう一人の人買が声をかけた。
 片眼が潰れた大男で、その綽名を一ツ目と云い、この仲間での小頭であった。「玄女《げんじょ》さんが居ないというのかい?」
「玄女姐さんも居なければ、猪右衛門《ししえもん》親方も行方不明なのさ」いよいよ猿若は物憂そうである。
「おかしいなあ、どうしたというのだ?」こう訊いたのは勘八である。
「どうして行方が知れないのか、俺らには訳がわからないよ。二人ながら昨日《きのう》からいないのさ」
「親方紛失とは気の毒だなあ」こう云ったのは一ツ目である。「どうだ猿若香具師なんか止めて俺達の仲間へ入らないか」
「真平ご免だ、厭なことだ」猿若は早速|刎《は》ね飛《と》ばしてしまった。
「若い女を攫って来て、遠い他国へ売るような、殺生な商売は嫌いだよ」
「何だ何だこのチビ公、利いたようなことを云っているぜ。そういうお前達の商売だって、立派なものではないではないか」
「せいぜい盗みをするぐらいさ」
「それ、それ、それ、そいつがいけない」
「娘なんかは盗まないよ」
「金か品物を盗むんだろう」
「人形、人形、綺麗な人形!」
「え?」と一ツ目は訊き返した。
「人形を盗もうとしたってことさ」
「アッハッハッ、馬鹿にしているなあ、一人前の口は利くようだが、やっぱり子供は争われない、人形を盗もうとは可愛らしいや」
 一ツ目が大声で笑ったので、人買共も一斉に、面白そうに笑い出した。
 と、その笑声の終えない中《うち》に、門口の戸が外から開き、二人の人間が入って来た。
 先に立ったは老人であり、後に続いたは娘であった。
 それと見て取るや人買共は、一度にタラタラと辞儀をしたが、「これはお頭、お帰りなさいまし」こ 
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