込むと、右手を懐中《ふところ》へ捻じ込んだ。グッと引抜き振り冠った途端、頭上にあたって、キラキラと月光を刎ね返すものがあった。すなわち長目の懐刀である。すなわち玄女が懐刀を抜き、同じく頭上へ振り冠ったのである。
と、玄女飛び込んだ。民弥の肩へズーンと一刀! 刀の切先を突き立てたのである。
なんの民弥が突かれるものか、右へ流すとひっ[#「ひっ」に傍点]外《ぱず》しどんと飛び込んで体あたり[#「あたり」に傍点]! 流されたのでヨロヨロと泳いで前へ飛び出して来た玄女の胴へ喰らわせた。それが見事に決まったと見える、玄女は地上へ転がったが、金切声で喚き出した。
「さあさあみんな出ておくれよ!」
するとどうだろう、声に応じ、家の陰やら木の陰やら、橋の下やら、土手の下から、二十人あまりの人影が、獲物々々を打ち振って、黒々として現われた。
こういうこともあろうかと、予《あらかじ》め玄女が伏せて置いた、彼女の手下の香具師共らしい。
グルグルと民弥を引っ包んだ。
「さあさあお前達力を合わせ、この娘を手取にするがいい」
飛び起きた玄女は声を掛けた。「仲々綺麗な娘だよ、捕らえて人買へ売り込んだら、相当の金になるだろう。切ってはいけない、傷付けてもいけない、お捕らえお捕らえ捕らえるがいい!」
「合点々々それ捕らえろ!」
「ソレ引っ担げ引っ担げ!」
香具師の面々声掛け合わせ、ムラムラと民弥へ押し逼《せま》った。
仰天したのは民弥である。こんな伏勢《ふせぜい》があろうとは、夢にも想像しなかった。
「これは大変なことになった。……もうこうなっては仕方がない。血を流すのは厭だけれど、切り散らさなければならないだろう」
そこで一躍右へ飛び、ヒューッと懐刀を打ち振った。「ワッ」という悲鳴! 倒れる音! 香具師の一人切られたらしい。
しかし香具師共は二十人以上、しかもその上命知らず、兇暴の精神の持主である。一時サーッと退いたが、すぐまた民弥を取り巻いた。
「女の手並だ、知れたものだ、組み敷け組み敷け、取り抑えろ!」
棒を投げ付ける者もある。足を攫おうとするのである。縄を飛ばせる者もある。引っくく[#「くく」に傍点]ろうとするのである。
今は民弥も必死である。サーッと一躍左へ飛び、「エイ!」と掛声! 裂帛《れっぱく》の呼吸《いき》! 懐刀をまたもや一揮した。と同時に「ワッ」という悲鳴! そうして続いて倒れる音! 民弥に切られて香具師の一人、ぶっ倒れたに相違ない。
またもや香具師共はサーッと引き、遠巻きにして取り巻いたが、「強いぞ強いぞ、案外強い! と云ったところでたかが女、蹴倒せ蹴倒せ踏み倒せ!」
そこでまたもや寄せて来た。
民弥武道には勝れても、若い女のことである、敵を二人迄切っている。呼吸《いき》切れせざるを得なかった。ハッ、ハッ、ハッと大息を吐き、疲労《つかれ》て萎る両足を、グッと構えて姿勢を正し、振り冠った懐刀月光に顫わせ、ムーッと香具師共を睨み付けた。しかし以前《まえ》程の元気はない。
「一度に寄せろ、占めた占めた! 女は疲労た、からめ[#「からめ」に傍点]捕れ! この機を外すな、からめ[#「からめ」に傍点]捕れ!」
香具師共ドッと押し寄せた。
以前程の元気はないのである。民弥は疲労ているのである。そこを狙って多勢の香具師共、一度に寄せて来たのである。危険だ危険だ捕らえられるかも知れない。
だがこの時声がした。
「強いぞ強いぞ侍めは! あぶないあぶない一時逃げろ!」
他ならぬ猪右衛門の声である。
つづいて右近丸の声がした。「お助けいたす、民弥殿!」
バタバタバタバタと足の音! 右近丸のために切り立てられ、逃げて来た猪右衛門の足音である。それに続いてまた足音! 猪右衛門の後を追っかけて、走って来た右近丸の足音である。
と、「ワッ」という数声の悲鳴! 民弥をグルグルと取り巻いていた香具師の群から起こったが、これは馳せ付けた右近丸が、太刀を揮って背後《うしろ》から、二三人を切って倒したのである。
当然香具師の円陣が崩れ、バラバラと四方へ別れたが、四ツ塚の方へ走り出した。
つと[#「つと」に傍点]現われたは右近丸、「おお民弥殿!」
「右近丸様!」
「どこもお怪我は?」
「ございませんでした」
力が抜けたのか娘の民弥が、グッタリと右近丸へもたれる[#「もたれる」に傍点]のを、胸で支えて左手で抱き、右手に握った血刀を、グーッと高くかざしたが、右近丸大音に呼ばわった。
「人形を返せ! 人形を返せ!」
しかし玄女も猪右衛門も、手下と雑って逃げるばかりで、返辞をしようともしなかった。
「残念々々、人形をみすみす取られる、みすみす取られる!」
「右近丸様!」と血走った声! 民弥は元気を取り返したらしい。
「追っかけましょうどこ
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