!」猪右衛門はいよいよ嘲笑的に、憎々しく首を突き出したが、「まず云うまいよ、明かすまいよ。が、ハッキリと云って置く、それさえ解いたら素晴らしいもの[#「もの」に傍点]が、手に入ることになっている、南蛮寺の謎――唐寺の謎が、籠っているのだ、人形にはな! だからよ小判一枚と、青差一本というような、破格な高価で買ったのさ! そうでなかったらこんな人形、そんな高価で買うものか! オッと待ったり」と猪右衛門は迂散《うさん》らしく右近丸と民弥とを、かたみがわりに見やったが。「ははあそうか、ははあそうか、一旦売った人形を、取り返そうとするからには、さては汝等《うぬら》も人形の、胎内の謎に感付いたな。と云うことであってみれば、人形はいよいよ返されねえ。オイ玄女さん」と猪右衛門は玄女の方を見返ったが、「お聞きの通りだ、この連中、人形の秘密に感付いたらしい。まごまごしてはいられない、行こう行こう、急いで行こう」
「それがいいねえ、そうしよう」
 こう云ったのは玄女である。胸にしっかり人形を抱き、猪右衛門と右近丸の問答を、面白そうに見ていたが、こうこの時云ったのである。
「それじゃア走って行くとしよう、お前さんも急いで来るがいいよ。さあさあおいでよ、猪右衛門さん!」
「よし来た、急ごう、それ走れ」
 そこで玄女と猪右衛門は右近丸と民弥を尻目にかけ、サーッと四ツ塚の方へ走り出した。怒りをなしたのは右近丸である。
「待て!」と一声呼びかけたが、すぐに民弥を振り返った。
「ご覧の通りの彼等の有様、人形の秘密を知った上で、ペテンにかけて買い取った様子、とうてい尋常では返しますまい。もうこうなっては止むを得ませぬ、腕を揮うは大人気ないが、今は揮わねばなりますまい。貴女《あなた》にもご用意、玄女とやらいう女へ、掛かって人形をお取り返し下され、拙者は一方猪右衛門とやらへ、掛かって懲らすことに致しましょう」
 腰の長太刀《ながたち》を引き抜いた。
「はい、それではこの妾《わたし》も」云うと同時に娘の民弥はグッと懐中《ふところ》へ手を入れたが、キラリと抜いたは懐刀である。
「待て!」ともう一度声を掛け、逃げて行く猪右衛門の背後《うしろ》から、颯《さっ》と一刀浴びせかけた。
「ワッ」と云う喚き! 猪右衛門だ! もんどり[#「もんどり」に傍点]打って倒れたが、不思議と血潮は流れなかった。当然である。右近丸がこんな下人を切ったところで、無駄な殺生と考えて、ピッシリ峯打に後脳を、一つ喰らわせたに過ぎなかったのだから。
 香具師の頭の猪右衛門は、しかし右近丸が思ったより、獰猛な性質の持主であった。打たれて地上へは倒れたが、隠し持っていた一腰を、引き抜くと翻然飛び上った。
「こんなものだアーッ」と凄じい掛声! 右近丸を目掛けて猪右衛門は一本「突き」を突っ込んだ。立派な腕前、油断のならぬ気魄、右近丸思わずギョッとしたが、さてその右近丸ときたひには、この時代の剣聖塚原卜伝、その人に仕込まれた無双の達人、香具師の頭猪右衛門などに、突かれるようなヤクザではない。横っ払いに払い捨てた。と、チャリーンと太刀の音! 人通りの絶えた寂しい五条、そこの夜の気に響いたが、さすがに気味の悪い音であった。
 と、一方この時分、民弥は懐刀を振りかざし、玄女の行手へ突っ立っていた。

17[#「17」は縦中横]

 行手へ突っ立った娘の民弥、
「玄女《げんじょ》さんとやら、改めて、貴女《あなた》へお願い致します。人形をお返し下さいまし」
 言葉は優しいが態度は強く、厭と云ったら用捨しない、懐刀で一|揮《き》、片付けてやろうと、決心しながら詰め寄せた。素性は名流北畠家の息女、いつの間にか父親|多門兵衛尉《たもんひょうえのじょう》に、武術の教を受けたものと見え、体の固め眼の配り、寸分際なく神妙である。
 しかし一方香具師の頭、玄女も決して只者ではなかった。
「民弥さんとやら、断わりましょう」にべもなくポンと付っ刎ねたが、「この人形の返されない訳は、今も仲間の猪右衛門《ししえもん》さんが、お話ししたはずでございますよ。……いわば私達にとりましては、貴女方お二人というものは、唐寺の謎を孕んでいる、この人形の取り遣りの、競争相手でございます。なんのそういう競争相手に、人形をお返し致しましょう。お断わりお断わり、断わります。……オヤオヤ見受ければまだお若い、無邪気な娘さんでありながら、物騒千万懐刀などを、振り冠って何となされるやら、ほほうそれでは腕ずくで、人形を取ろうとなされるので? 怪我をしましょう、お止しなされ! どうでも刃物を揮われるなら、妾も香具師の女親方、二十三十の荒くれ男を、使いこなしている商売柄、何のビクともいたしましょう、お相手しましょう、さあおいでよ!」
 胸に抱いていた人形を、左の脇下へ掻《か》い
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