わないのじゃアあるまいかな。人形が物を云うなんて、どう考えたってへんてこだからなあ。でもし物を云わないとすると、弁才坊めが苦心して、唐寺の謎を解き明かせた、研究材料の有場所を、発見することが出来なくなる。困ったことだ、困ったことだ。……ナーニ、ナーニ、そんなことはないさ。どうかしたら物だって云うだろう。もし又物を云わないようなら、人形の腹を立ち割ればいい。そうしたら秘密は解けるだろう。『この人形を大事にしろ』弁才坊めが民弥めに、こんなように云ったというからな。大事な秘密が人形の中に、隠されているのは確からしい。……どっちみち早く帰るとしよう」
 五条の橋を渡って行く。
 渡り切った所に柳がある。ちょうどそこまで来た時であった。一つの人影が現われた。柳の陰から現われたのである。
「オイどうだったい猪右衛門さん」
 その人影が声をかけた。同じ香具師の女親方、猪右衛門と相棒の玄女であった。
「ヨー、これは玄女さんか」
「首尾はどうかと思ってね、ここ迄様子を見に来たのさ。お迎えに来たと云ってもいい」
 玄女はニヤニヤ笑っている。
「首尾は上々この通りさ。うまうま人形を手に入れたよ」
 こう云うと猪右衛門は人形を、ヒョイとばかりに突き出した。
「おやマァ大きな人形だねえ。そうして随分立派じゃアないか。どれどれ妾《わたし》に抱かせておくれよ」
「オッとよしよし抱くがいい」
 玄女は人形を受け取ったが、月光に隙かしてつくづく見た。
 人形は精巧に出来ている。顔など活きているようだ。今にも物を云いそうである。
「成程ねえ、この人形なら、物を云うかもしれないねえ」
 玄女は感心したらしい。で、猪右衛門のやったように、人形の手を引っ張ったり、足を引っ張ったりしたけれども、人形は物を云わなかった。
「とにかくここに突っ立って、人形いじりをしていたって、どうも一向はじまらないよ。家へ帰ってゆっくりと、人形いじりをすることにしよう」と玄女はスタスタ歩き出した。
「それがいいいい」と猪右衛門も、玄女と並んで歩き出した。しかし十間とは行かなかったろう、背後《うしろ》から呼びかける声がした。
「古道具買さん古道具買さん、ちょっとお待ち下さいまし」
 それは女の声であった。
 驚いた玄女と猪右衛門が足を止めて振り返ると、いずれ走って来たのだろう。息を切らせた若い娘と、若い武士とが立っていた。
 娘は民弥、武士は右近丸、うまく二人を目つけたのである。
 民弥を見ると猪右衛門は、これは! というような表情をしたが、「オヤオヤこれは先刻方、人形をお売り下された、お嬢さんではございませんか。何かご用でございますかな」こう云いながら猪右衛門は素早く玄女へ眼配せをした。用心しろと云ったのである。
「はい」と云うと娘の民弥は気の毒そうに云い出した。「少し都合がございますので、お売りいたした人形を、買い戻しとう存じます。どうぞお返し下さいまし」
「成程」と云ったものの猪右衛門はどうしてどうして返すことではない。鼻の先でフフンと笑った。「がどうもそいつはいけますまいよ」
「それは又何故でございますか」民弥も後へ引こうとはしない。
「一旦買い取った上からは、この人形は私の物、お返しすることではございません」
「そう仰有《おっしゃ》らずに是非どうぞ……」
「駄目だあアーッ」とがぜん猪右衛門は兇悪の香具師の本性を、露骨に現わして一喝した。「帰れ帰れ! 返しゃアしねえ!」
「これ!」と叱るように声をかけ、進み出たのは右近丸で見れば両眼を怒らせて、刀の柄へ手をかけている。

16[#「16」は縦中横]

「売りは売ったが金を返し、買い戻そうと申すのだ、何が不足で返さぬと云うぞ! 返辞によっては用捨せぬ! 懲しめるぞよ、どうだどうだ!」
 こう云ったが右近丸は感付いた。「ははあ儲けが欲しいのだな」そこで今度は穏しく、「成程なるほど考えて見れば、お前は商人《あきんど》古道具買、せっかく手に入れた品物を、元価《もとね》で返しては商売になるまい。よろしいよろしい増金をしよう。青差一本余分につける。これでよかろう、さあさあ返せ」
 だが香具師の猪右衛門は相手にしようとはしなかった。
「駄目だアーッ」と再び呶鳴《どな》ったが、思量なくベラベラ喋苦《しゃべ》り出した。「これお侍に娘っ子、聞け聞け聞け、聞くがいい、奈良朝時代の貴女人形、返しゃアしねえよ、返すものか! 青差一本は愚かのこと、黄金幾枚つけようと、返すものかア、返すものかア! オイ!」と云うとヒョイと進み、白歯を剥いて笑ったが、それから尚も云い続けた。「と云うのは他でもねえ、この人形の胎内に、大事な秘密があるからよ。唐寺の謎! 唐寺の謎!」
「おっ!」と叫んだは右近丸である。「ううむ、汝《おのれ》どうしてそれを?」
「知っているのが不思議かな
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