解るということだ。うむ、そういえば弁才坊殿には『この人形を大事にしろ』と民弥殿に云ったということだ。これで解った、すっかり解った! 奈良朝時代の貴女人形、あの人形の眼さえ打ったら、唐寺の謎の研究材料、その有り場所が解るのだ。……これはこうしてはいられない。すぐ引っ返して民弥殿と逢い、あの人形を調べてみよう!」
 身を翻えすと右近丸は元来た方へ引っ返した。
 ちょっとの躊躇も許されない。見得も外聞も構っていられぬ。で右近丸は走り出した。
 が、どんなに急いでも、人形は売られた後である。人手に渡った後である。どうすることも出来ないだろう。
 まさしくそれはそうであった。息せき切った右近丸が、民弥の屋敷へ駈け込んで、例の室で民弥と逢い、人形の行方を尋ねた時、民弥の口から右近丸は、残念な報告を聞かされたのである。
 小判と青差を卓の上へ載せ、それに見入っていた娘の民弥は、右近丸が入って来るのを見ると、驚いたように云ったものである。
「まあそのあわただしい御様子は、どうなされたのでございます?」
 それには碌々挨拶もせず、右近丸は室を見廻したが、「民弥殿! 民弥殿! 人形を! ……ちょっと人形をお見せ下され!」
 すると民弥は赤面したが、小判と青差とを指さした。
「小判とそうして青差とに、人形は変わってしまいました」
「え?」と云ったものの右近丸には、何のことだか解らなかった。で直ぐに云い続けた。「帙入《ちついれ》の書物《ほん》に記されてあった、『くぐつ、てんせい、しとう、きようだ』……この謎語の意味解ってござる! 人形の眼を指の先で、強く打てという意味なのでござる。そうしたら逝《な》くなられた弁才坊殿が、苦心をされて調べあげた、唐寺の謎の研究材料、その有場所が解るのでござる! 奈良朝時代の貴女人形、あの人形に一切合財、秘密が籠っているのでござる。お見せ下され、貴女人形を!」
「まあ」と叫ぶと娘の民弥は仰天して立ち上ったが、見る見る顔色を蒼白くした。と、グッタリと牀几の上へ、腰を下ろすと喘ぎ出した。
「一足違い! 一足違い!」
「何?」とばかり右近丸。
「売り渡しましてございます」
「誰に※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」と右近丸は胸をそらせた。
「今しがた来た古道具買に……」
「誠か※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」と云ったが嗄声《かれごえ》である。「で、そやつ、どの方角へ?」
「はい……一向……その辺りの所は……」
「ご存じないと云われるか?」
「存じませんでございます」
 ここに至って右近丸は落胆したというように、牀几にべッタリ腰かけてしまった。苦心が水泡に帰したのである。又九|仭《じん》の功名を、一|簣《き》に虧《か》いてしまったのである。落胆するのは当然である。
 しばらく二人とも物を云わない。互いに顔さえ見合わさない。溜息を吐くばかりである。
 すっかり夕《ゆうべ》の陽も消えた。窓外がだんだん暗くなる。花木の陰が紫から、次第に墨色に移って行く。
 と、俄《にわか》に右近丸は勢い込んで飛び上ったが、「うっちゃって置くことは出来ません、たとえ京の町は広くとも、探して探されないものでもなし、立ち去って間もないというからには、あるいはこの辺りに古道具買徘徊して居るかも知れません。すぐに参って目付け出し、奈良朝時代の貴女人形買い戻すことにいたしましょう」
「それでは」と民弥も意気込んだ。「妾《わたし》もお供いたします!」
「おお、そなたも参《まい》られるか」
「参りますとも参りますとも! 妾ご一緒に参らなければ、人形を買った古道具買の、人形風俗わかりますまい!」
「これは如何にもご尤も! それでは一緒に!」
「右近丸様!」
「おいでなされ!」
 と走り出た。続いて民弥も女ながら、一所懸命の場合である。小褄《こづま》を取ると嗜《たしなみ》の懐刀、懐中《ふところ》へ入れるのも忙しく、後に続いて走り出た。

15[#「15」は縦中横]

 ここは五条の橋である。
 今、宵月に照らされて、フラフラ歩いて来る人影がある。古道具買に身を※[#「にんべん+肖」、第4水準2−1−52]《やつ》した、香具師の親方の猪右衛門である。両手に人形を持っている。非常に非常に機嫌がよい。独り言を云っている。
「こんなに楽々と苦労もなく、唐寺の謎を持っている。奈良朝時代の貴女人形を、手に入れようとは思わなかったよ。運がよかったというよりも、俺に才智があったからさ。……さて所で人形だが、物を云うということだが、どうしたら物を云うだろう?」
 人形の手を引っ張って見た。が、人形は物を云わない。そこで足を引っ張って見た。が、人形は黙っている。今度は首を捻ってみた。しかし人形は音を出さない。
「不思議だな、どうしたんだろう? あんなことを猿若は云ったけれど、物なんか云
前へ 次へ
全32ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング