んな下人を切ったところで、無駄な殺生と考えて、ピッシリ峯打に後脳を、一つ喰らわせたに過ぎなかったのだから。
香具師の頭の猪右衛門は、しかし右近丸が思ったより、獰猛な性質の持主であった。打たれて地上へは倒れたが、隠し持っていた一腰を、引き抜くと翻然飛び上った。
「こんなものだアーッ」と凄じい掛声! 右近丸を目掛けて猪右衛門は一本「突き」を突っ込んだ。立派な腕前、油断のならぬ気魄、右近丸思わずギョッとしたが、さてその右近丸ときたひには、この時代の剣聖塚原卜伝、その人に仕込まれた無双の達人、香具師の頭猪右衛門などに、突かれるようなヤクザではない。横っ払いに払い捨てた。と、チャリーンと太刀の音! 人通りの絶えた寂しい五条、そこの夜の気に響いたが、さすがに気味の悪い音であった。
と、一方この時分、民弥は懐刀を振りかざし、玄女の行手へ突っ立っていた。
17[#「17」は縦中横]
行手へ突っ立った娘の民弥、
「玄女《げんじょ》さんとやら、改めて、貴女《あなた》へお願い致します。人形をお返し下さいまし」
言葉は優しいが態度は強く、厭と云ったら用捨しない、懐刀で一|揮《き》、片付けてやろうと、決心しながら詰め寄せた。素性は名流北畠家の息女、いつの間にか父親|多門兵衛尉《たもんひょうえのじょう》に、武術の教を受けたものと見え、体の固め眼の配り、寸分際なく神妙である。
しかし一方香具師の頭、玄女も決して只者ではなかった。
「民弥さんとやら、断わりましょう」にべもなくポンと付っ刎ねたが、「この人形の返されない訳は、今も仲間の猪右衛門《ししえもん》さんが、お話ししたはずでございますよ。……いわば私達にとりましては、貴女方お二人というものは、唐寺の謎を孕んでいる、この人形の取り遣りの、競争相手でございます。なんのそういう競争相手に、人形をお返し致しましょう。お断わりお断わり、断わります。……オヤオヤ見受ければまだお若い、無邪気な娘さんでありながら、物騒千万懐刀などを、振り冠って何となされるやら、ほほうそれでは腕ずくで、人形を取ろうとなされるので? 怪我をしましょう、お止しなされ! どうでも刃物を揮われるなら、妾も香具師の女親方、二十三十の荒くれ男を、使いこなしている商売柄、何のビクともいたしましょう、お相手しましょう、さあおいでよ!」
胸に抱いていた人形を、左の脇下へ掻《か》い
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