角へ?」
「はい……一向……その辺りの所は……」
「ご存じないと云われるか?」
「存じませんでございます」
 ここに至って右近丸は落胆したというように、牀几にべッタリ腰かけてしまった。苦心が水泡に帰したのである。又九|仭《じん》の功名を、一|簣《き》に虧《か》いてしまったのである。落胆するのは当然である。
 しばらく二人とも物を云わない。互いに顔さえ見合わさない。溜息を吐くばかりである。
 すっかり夕《ゆうべ》の陽も消えた。窓外がだんだん暗くなる。花木の陰が紫から、次第に墨色に移って行く。
 と、俄《にわか》に右近丸は勢い込んで飛び上ったが、「うっちゃって置くことは出来ません、たとえ京の町は広くとも、探して探されないものでもなし、立ち去って間もないというからには、あるいはこの辺りに古道具買徘徊して居るかも知れません。すぐに参って目付け出し、奈良朝時代の貴女人形買い戻すことにいたしましょう」
「それでは」と民弥も意気込んだ。「妾《わたし》もお供いたします!」
「おお、そなたも参《まい》られるか」
「参りますとも参りますとも! 妾ご一緒に参らなければ、人形を買った古道具買の、人形風俗わかりますまい!」
「これは如何にもご尤も! それでは一緒に!」
「右近丸様!」
「おいでなされ!」
 と走り出た。続いて民弥も女ながら、一所懸命の場合である。小褄《こづま》を取ると嗜《たしなみ》の懐刀、懐中《ふところ》へ入れるのも忙しく、後に続いて走り出た。

15[#「15」は縦中横]

 ここは五条の橋である。
 今、宵月に照らされて、フラフラ歩いて来る人影がある。古道具買に身を※[#「にんべん+肖」、第4水準2−1−52]《やつ》した、香具師の親方の猪右衛門である。両手に人形を持っている。非常に非常に機嫌がよい。独り言を云っている。
「こんなに楽々と苦労もなく、唐寺の謎を持っている。奈良朝時代の貴女人形を、手に入れようとは思わなかったよ。運がよかったというよりも、俺に才智があったからさ。……さて所で人形だが、物を云うということだが、どうしたら物を云うだろう?」
 人形の手を引っ張って見た。が、人形は物を云わない。そこで足を引っ張って見た。が、人形は黙っている。今度は首を捻ってみた。しかし人形は音を出さない。
「不思議だな、どうしたんだろう? あんなことを猿若は云ったけれど、物なんか云
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