「石を足場にして覗いたな、さして高くもない窓だのに……とすると子供に相違ない。が、子供でも油断は出来ない……民弥々々!」と声をかけた。
「はい」と民弥が顔を出した。「近所の子供でございましょう。無邪気に覗いたのでございましょう」
そういう民弥こそ無邪気であった。
「さあそいつ[#「そいつ」に傍点]が解らない」いぜん弁才坊は不安らしい。「私の探った秘密というものは、一通りならぬものだからな。いろいろの人間が狙っていよう」
「申す迄もございません」――だが民弥は苦にもしないらしい。
「で、ちょっとの油断も出来ない」
「物騒な浮世でございますから」だが民弥はやっぱり無邪気だ。
「全くどうも物騒だよ、北山辺りにも変な人間がいるし、洛中にも変な人間がいる」
「そうして諸方の国々では、今日も戦争、明日も戦争、恐ろしいことでございます」これだけは民弥も真剣であった。
「そればかりではない紅毛人までが、ユサユサ日本へやって来て、南蛮寺などを建立してしまった」弁才坊はひどく不満そうである。
「でもお父様」と娘の民弥は、どうしたものか微妙に笑った。
「その南蛮寺が建ったればこそ、お父様には今回のご研究が出来たのではございませんか」
「それはそうだよ」と云ったものの、やはり弁才坊は不満らしい。だがにわかに態度を変えた。
「どうやら宵も過ぎたらしい。さあさあ民弥さん寝るとしよう」剽軽の態度に帰ったのである。
「かしこまりました、弁才坊さん、おねんねすることに致しましょう」
二人窓から引っ込んだが、つづいて雨戸が閉ざされた。後はシーンと静かである。
とガサガサと庭木が揺れ、現われたのは先刻《さっき》の少年、「これからが俺の本役《ほんやく》さ」とまたもや窓へ近よったが、手を延ばすと窓を開け、そこから一つの風船を、家内《やない》へ飛ばせたものである。
6
その風船はユラユラと部屋の中へ入って行った。
さてその部屋の中であるが、弁才坊ただ一人、床を延べて伏せっていた。
うとうと眠っているらしい。部屋の中には燈火《ともしび》がない。で、闇ばかりが領している。その闇の部屋をユラユラと、白い風船が漂っている。スーッと天井まで上ったかと思うと、スーッと下へ下って来る。妖怪《もののけ》のようにも思われるし、肉体から脱け出た魂のようでもある。
しかし少年は何のために、そんな風船を飛ばせたのだ
前へ
次へ
全63ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング