閂陣。戸という文字を暗示したものだ。三つを合わせると花川戸。ははあこれは地名だな」
乞食はまたも石を崩した。小石を五個一列に並べた。そうして指で「刻」の字を書いた。
「うん、これは五|更《こう》という意味だ」老武士は口の中で呟いた。
乞食の石芸はこれで終った。人の往来が劇《はげ》しくなった。乞食達は袖へ縋り出した。いつの間にか皆見えなくなった。
老武士は悠然と欄干を離れた。橋の袂に駕籠屋がいた。
「駕籠屋」と老武士はさし[#「さし」に傍点]招いた。「数寄屋橋《すきやばし》までやってくれ。うむ、行く先は北町奉行所」
すぐに駕籠は走り出した。
お色は俯向いて歩いていた。顔を上げると屋敷があった。門に看板が上がっていた。地泰天《じたいてん》の卦面《けめん》を上部に描き、周易活断、績善堂、加藤左伝次と記されてあった。
当時易学で名高かったのは、新井白峨と平沢左内、加藤左伝次は左内の高弟、師に譲らずと称されていた。左内の専門は人相であったが、左伝次の専門は易断であった。百発百中と称されていた。
お色は思わず足を止めた。
「あのお方のお心持ち、ちょっと占って貰おうかしら?」
で門
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