のがあった。焔《も》えるような女の手であった。
「わたしは買われて行くのです」女は突然ぶっ[#「ぶっ」に傍点]付けるようにいった。「それをあなたは暢気《のんき》らしく、笑ってばかりおいでなさる」
「何、買われて行く? 吉原へか?」
「女郎ならまだしも[#「まだしも」に傍点]よござんす。妾《めかけ》に買われて行くのです」
「うむ、そうして行く先は?」
「はい、あなたの大嫌いな方」
「おれには厭な奴が沢山ある。人間はみんな[#「みんな」に傍点]嫌いだともいえる」
「一人あるではございませんか。とりわけ[#「とりわけ」に傍点]あなたの嫌いな人が」
「なに、一人? うむ、いかにも。が、それは大物だ」
「そのお方でございます」
「老中筆頭田沼主殿頭!」
「はい、そうなのでございます」
「それをお前は承知したのか?」
「お養母様《かあさま》が大金を。……」
「うむ、田沼から受け取ったのだな?」
「妾《わたし》の何んにも知らないうちに。……用人とやらがやって来て。……」
 若侍は立ち上がった。だがまたすぐに坐ってしまった。
「よくある奴だ。珍らしくもない。ふん。金持ちの権勢家、業突張《ごうつくば》り
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