う輩《やから》であった。
 一個《ひとつ》の手ごろの四角い石と、十個の小さい円石とで、一人の乞食が変なことをしていた。
 やや離れた欄干に倚り、それを見ている老武士があった。編笠で顔を隠しているので何者であるかは解らなかった。
 乞食は角石を右手へ置いた。それから小石を三個だけ、その左手へタラタラと並べた。
 老武士が口の中で呟いた。
「銅銭会茶椀陣、その変格の石礫陣《せきれきじん》。……うむ、今のは争闘陣だ」
 乞食はバラバラと石を崩した。角石をまたも右手へ置き、その左手へ二つの小石を、少し斜めにピッタリと据えた。それから指で二の字を描いた。
 と、老武士は口の中でいった。「雙龍《そうりゅう》玉を争うの陣だ」
 すると塊《かた》まっていた数人の乞食の、その一人が手を延ばし、ツ[#「ツ」に傍点]と一つの小石を取った。それを唇へ持って行った。それから以前《もと》の場所へ置いた。他の乞食が同じことをした。次々に小石を取り上げた。それを唇へ持って行った。それから以前《まえ》の場所へ置いた。「茶を喫するという意味なのだ」老武士は口の中で呟いた。「雙龍玉を争うにより、その争闘に加わるよう。よろしい[#「よろしい」に傍点]といって承知した意味だ。ふむ、何かやると見える」
 乞食は手早く石を崩した。小石ばかりを三個並べた。その後へ二つ円を描いた。
「ははあ同勢三百人か」口の中で老武士はいった。
 乞食はまたも石を崩した。角石を取って右手へ置いた。一個の小石を左手へ置いた。その左手へ四個の小石を、四角形に置き並べた。そうして四角形の石の周囲へ、指で四角の線を引いた。
 と、老武士は呟いた。「これ患難|相扶陣《そうふじん》だ。今度の争闘は患難だによって、相扶《あいたす》けよという意味だ」
 乞食はまたも石を崩した。それから再び石を並べた。三個の小石を左手に並べ、三個の小石を右手へ並べた。中央へ二個の小石を置いた。
「これすなわち梅花陣だ」


    周易の名家加藤左伝次

 乞食は左右の手を延ばし、左右六個の石を取った。
「ははあ、花だけ残したな」
 急に乞食は二個の小石へ、さらに一個の石を加えた。その左右に三個ずつ六個の小石を置き並べた。
「これはほかならぬ河川陣《かせんじん》だ」
 乞食はまたもや石を崩した。十個の小石を一列に並べた。その中央へ角石を置いた。
「これはほかならぬ閂陣。戸という文字を暗示したものだ。三つを合わせると花川戸。ははあこれは地名だな」
 乞食はまたも石を崩した。小石を五個一列に並べた。そうして指で「刻」の字を書いた。
「うん、これは五|更《こう》という意味だ」老武士は口の中で呟いた。
 乞食の石芸はこれで終った。人の往来が劇《はげ》しくなった。乞食達は袖へ縋り出した。いつの間にか皆見えなくなった。
 老武士は悠然と欄干を離れた。橋の袂に駕籠屋がいた。
「駕籠屋」と老武士はさし[#「さし」に傍点]招いた。「数寄屋橋《すきやばし》までやってくれ。うむ、行く先は北町奉行所」
 すぐに駕籠は走り出した。

 お色は俯向いて歩いていた。顔を上げると屋敷があった。門に看板が上がっていた。地泰天《じたいてん》の卦面《けめん》を上部に描き、周易活断、績善堂、加藤左伝次と記されてあった。
 当時易学で名高かったのは、新井白峨と平沢左内、加藤左伝次は左内の高弟、師に譲らずと称されていた。左内の専門は人相であったが、左伝次の専門は易断であった。百発百中と称されていた。
 お色は思わず足を止めた。
「あのお方のお心持ち、ちょっと占って貰おうかしら?」
 で門内へはいっていった。すぐ溜り場へ通された。五、六人の人が待っていた。一人一人奥へ呼び込まれた。嬉しそうな顔、悲しそうな顔、いろいろの顔をして戻って来た。やがてお色の番が来た。お色は奥の部屋へ行った。部屋の正面に床の間があった。脇床の違い棚に積まれてあるのは、帙入《ちつにゅう》の古書や巻軸であった。白熊の毛皮が敷いてあった。その上に端然と坐っているのは、三十四、五の人物であった。総髪の裾が両肩の上に、ゆるやか[#「ゆるやか」に傍点]に波を打っていた。その顔色は陶器のようで、ひどく冷たくて蒼白かった。眼の形は鮠《はや》のようであった。眼尻が長く切れていた。耳髱《みみたぶ》へまで届きそうであった。その左の目の瞳に近く、ポッツリ星がはいっていた。それが変に気味悪かった。黒塗りの見台が置いてあった。算木《さんぎ》、筮竹《ぜいちく》が載せてあった。その人物が左伝次であった。茶無地の被布を纏っていた。
 お色は何がなしにゾッとした。凄気が逼るような気持ちがした。遠く離れて膝を突いた。それからうやうやしく辞儀をした。
 と、左伝次は頤《あご》をしゃく[#「しゃく」に傍点]った。
「恋だな、お娘ご中《あ
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