槐門《かいもん》周章。丙《ひのえ》より壬《みずのえ》、一所集合、牙城を屠《ほふ》る。急々如律令《きゅうきゅうにょりつれい》。――つまりこういう意味でござった。甲斐守殿へお伝えくだされ」
「して、茶椀陣とおっしゃるは?」
「うむ、茶椀陣か、それはこうだ。銅銭会の会員が、茶椀と土瓶の位置の変化で、互いの意思を伝える法」
「火急の場合、これでご免」
「謹慎の身の上、お見送り致さぬ」
で弓之助は下屋敷を辞した。門を潜ると駕籠へ乗った。
駕籠は一散に宙を飛んだ。
間もなく甲斐守の屋敷へ着いた。門を潜り、玄関を抜け、叔父の部屋へ走り込んだ。
依然|肩衣《かたぎぬ》を着けたまま、甲斐守は坐っていた。
「おお弓之助か、どうであった?」
「まずこれを」と書物《かきもの》を出した。
「うむ、銅銭会縁起録」
「他に伝言《ことづて》でございます」
「うむ、そうか、どんなことだ?」
「先ほど、私お話し致しました、上野山下一葉茶屋で、一人の町人の行なった茶椀芸についてでございますが、あれは銅銭会の茶椀陣と申し、茶椀の変化によりまして、会員同士互いの意思を、伝え合うところの方法だそうで、あの時の茶椀陣の意味はといえば、貴人横奪、槐門周章。丙《ひのえ》より壬《みずのえ》、一所集合、牙城を屠る。急々如律令。……かような由にございます」
「ううむそうか、よく解った」甲斐守はじっと考え込んだ。「……貴人横奪? 貴人横奪? これはこの通りだ間違いない。いかにも貴人が横奪された。槐門周章? 槐門周章? 槐門というのは宰相の別名、当今の宰相は田沼殿、いかにもさよう田沼殿は、非常に周章《あわ》てておいでになる。だからこれにも間違いはない。丙より壬? 丙より壬? これがちょっと解らない」甲斐守は眼を閉じた。すると弓之助が何気なくいった。
「日柄のことではございませんかな。たしか一昨日《おとつい》が丙の日で」
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「おっ、なるほど、そうかもしれない。うむ、よいことを教えてくれた。いかにもこれは日柄のことだ丙から壬というからには、丙から数えて壬の日まで、すなわち七日間という意味だ。一所集合? 一所集合? これは読んで字のごとく某所へ集まれということだろう? 牙城を屠る? 牙城を屠る? 敵の本陣をつくという意味だ。急々如律令は添え言葉、たいして意味はないらしい……さてこれで字義は解っ
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