い姫君を、お寝間で占めるとは羨ましい次第」
「狐狸の身分になりたいものじゃ」
「おお新十郎参ったか」
 肥後熊本で五十四万石の大名中での大々名、細川越中守はこう云って、小野派一刀流指南役、左分利新十郎をジロリ[#「ジロリ」は底本では「ヂロリ」]と見た。
「は」と云ったが新十郎、下げていた頭をまた下げる。
「其方《そち》の剣道、霊験あるかな?」
 藪から棒にこう云っておいて、越中守は眼を閉じた。何やら思案に余っていたらしい。
「は、霊験と仰せられますと?」
 新十郎は恐る恐る訊く。
「昔、源三位頼政は、いわゆる引目の法をもって紫宸殿の妖怪を追ったというが、其方の得意の一刀流をもって妖怪を追うこと出来ようかな?」
「は、そのことでござりますか。不肖なれども新十郎、剣をもって高禄をいただき居る身、いかなる妖怪か存じませぬが適《かな》わぬまでも剣の威をもって取り挫ぎます[#「挫ぎます」はママ]でござりましょう。
「おおよく申したそうなくてはならぬ」
「して妖怪と申されますは?」
「いずれは狐狸の類であろう」
「は、左様でござりますか」
「乃信姫の身に憑いたそうじゃ」
「姫君様のお身の上に……」
「毎夜通って参るそうじゃ」
「言語道断、奇怪の妖怪……」
「其方今宵は奥へ参り、姫の寝間の隣室に宿り、妖怪の正体見現わすよう」
「かしこまりましてござります」
「よいか、確《しか》と申し付けたぞ」
「承知致しましてござります」

 下邸の夜は森々《しんしん》と更け、間毎々々の燈火《ともしび》も消え、わけても奥殿は淋しかった。
 一つの部屋にだけ燈がともって[#「ともって」に傍点]いる。
 それは乃信姫の部屋である。
 ボーンとその時|丑満《うしみつ》の鐘が手近の寺から聞こえてきたが尾を曳いてその音の消えた後も初夏の風がザワザワと吹く。
 同時に庭に向いた廻廊の戸を、ホトホトホトホトと叩くものがある。
 と、障子に女の影が大きくボッと映ったがやがて障子が音もなく開いて一人の女が現われた。他ならぬそれは乃信姫である。
 姫は廊下へスルスルと出たが、すぐに雨戸へ手を掛けた。スーとその戸が横へ引かれる。
「乃信姫殿か」
「主水《もんど》様」
 内と外とで二声三声。……月代《さかやき》の跡も青々しい水の垂れそうな若侍がツト姿を現わした。鶯谷で姫を救った深編笠の侍である。
 その手を優しく姫が執
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