乞食はそっちを見ていたが、ふっ[#「ふっ」に傍点]とばかりに呟いた。
「今夜あたり起こるでございましょうよ。恐ろしい恐ろしい騒動が」
「ほほう」と云ったものの松吉は、どういう意味だか解らなかった。
「何が起こると有仰るので!」
 丁寧な言葉で訊き出した。
「私は乞食でございますよ」
「まあね、そりゃア、そうかも知れない。……それがどうしたと仰有るので?」
「で、江戸中をほっつい[#「ほっつい」に傍点]ています」
「私の商売と似ていまさあ」
「私の方がもっともっと、露地や裏店に縁故があります」
「そうして私にゃア悪党がね」
「どっちみち浮世の底の方に、縁故があるというもので」
「正に! そうだよ! 違いないなあ」
「親分!」と乞食は意味あり気に云った。
「露地や裏店の連中が、黙っているものと思いなさるかね?」
「何を?」
「へー」
「何をだよ」
「そいつを私にお訊きなさるので?」
「うん」と云ったが気になる調子だ。
「大概見当は付いているがね。……」
「隣家《となり》の餓鬼が死のうとも、こっちのお家じゃア驚かない。ところが一旦自分の方へ。……」
「移った日にゃア狂人《きちがい》になる
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