た時、
「駕籠へ付いておいでなさりませ」
 艶めかしい女の声がした。
 見れば鉄之進の左側を、一挺の駕籠が通っている。


19[#「19」は縦中横]

「おや」と鉄之進は怪訝そうにした。
「誰に云ったのだろう? この俺にか?」
 するとまた駕籠から声がした。
「轡《くつわ》の定紋のお侍様、駕籠に付いておいでなさりませ」
「うむ、違いない、俺に云ったのだ」
 ――いずれ理由《わけ》があるのだろう。――こう思ったので鉄之進は、素早く駕籠の後を追った。
 側に芝居小屋が立っていた。付いて廻ると木戸口があった。と駕籠が入って行く。つづいて宇和島鉄之進が、入って行ったのは云うまでもない。舞台裏へ入る切戸口の前で、駕籠がしずかに下りたかと思うと、駕籠の戸が内から開き、一人の女が現われた。女役者の扇女《せんじょ》である。切戸口から内へ入ろうとした時、裏木戸から武士達が入り込んで来た。鉄之進を従けて来た武士達である。
「御心配には及びませんよ」
 扇女は鉄之進へ囁いたが、五六人の武士へ眼をやった。
「ねえ皆さん方、見て下さいよ。ここに居られるお侍さんが、この妾《わたし》の恋しい人さ。……だから虐《い
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