して、追手をあやなし[#「あやなし」に傍点]ている間に、二階の窓から屋根を伝い、裏町の露地へヒラリと下り、それからクルクル走り廻り、ここ迄辿り着いた一件を、心の中で思い出したのである。
「あれが普通のお神さんだったら、驚いて大きな声を上げ、俺を追手の連中へ、きっと突き出したに相違ない。世間に人気のある人間は、度胸も大きいというものさ。扇女ならこそ助けてくれたんだ。お礼をしなければならないなあ」
するとその時藪の中で、物の蠢く気勢《けはい》がした。
「おや」と思って振り返って見たが、枝葉が繁っているために、隙かして見ることは出来なかった。
「さあこれからどうしたものだ?」
丁寧松は考え出した。
「よし来た、今度は方針を変えて、鮫島大学の方を探って見よう。旅籠屋の柏屋とも近いからなあ。かたがた都合がいいかも知れない。……が。一人じゃア不安心だなあ。……そうしてどっちみち[#「どっちみち」に傍点]夜が来なけりゃア駄目だ」
するとまたもや藪の中で、ゴソリと蠢く音がした。
「おかしいなあ」と振り向いた時、
「これは連雀町の親分で、変な所でお目にかかりますなあ」
藪から這い出した男があった。
「どいつだ手前は?」
「へい私で」
「よ、今朝方のお菰さんか」
「お金にお飯《まんま》にお酒を戴き、今朝方は有難うございました」
襤褸《ぼろ》を引っ張り杖を突っ張り、垢だらけの手足に髯ぼうぼうの顔、そういう乞食が現われた。
21[#「21」は縦中横]
「今まで藪の中にいたのかい?」
「ここが私の別荘で」
「いや豪勢な別荘だ」
「少し藪蚊は居りますがね」
「人間の藪蚊よりは我慢出来る」
「いや全くでございますよ」
乞食の上州はニヤリとしたが、
「不景気以上の大飢饉で、どこへお貰いに参りましても、まるで人間の藪蚊のように、相手に致してはくれませんなあ」
云い云い上州は坐り込んだが、妙におかしなところがある。髯こそぼうぼうと生えているが、そうして垢で埋まってはいるが、太い眉に秀でた額、極めて高尚な高い鼻、トホンとした眼付きはしているが、よく見ると充分に知的である。だが口付きは笑殺的で、酸味をさえも帯ている。尋常な乞食とは思われない。
「こいつどうにも怪しいなあ」
――そこは松吉商売柄だ、何か看破をしたらしい。
と、ソロソロと懐中《ふところ》の内へ、右の片手を突っ込んだが、
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