「私の云ったのはそうではない。お前さんのような由緒のある人を、乞食の身分に落とし入れた、世間のやつらが藪蚊だというので」
「え?」と乞食は眼を据えたが、
「この私が由緒のある。……」
「おい!」
「へい」
「正体を出せ!」
「何で?」と立とうとするところを、
「狢《むじな》め!」と一喝浴びせかけ、引き出した十手で、ガンと真向を! ……
「あぶねえ」と左へ開いたが、
「御冗談物で、親分さん」
「まだか!」
 懐中の縄を飛ばせた。
「どうだァーッ」と気込んでその縄を引いたが、
「なんだ! こいつアー 青竹の杖か!」
 乞食の両脚を搦んだものと、固く信じた松吉であったが、見れば見当が外れていた。乞食は青竹の杖を突いて悠然として立っている。その杖へ縄が搦まっている。万事意表に出たのである。
 だがその次の瞬間に、もう一つ意外の出来事が起こり、ますます松吉の肝を冷やした。と云うのは岡引の松吉が、
「いよいよ手前!」と叱咤しながら、グーッと縄を引っ張った途端、スルリとばかり杖が抜け、ギラツク刀身が現われたからである。
「青竹仕込みの。……」
「偽物で。……」
「何を!」
「見なせえ!」と上州という乞食は、カラッと刀を放り出した。
「どう致しまして……そんな古風な……敵《かたき》討ちの身分じゃアございませんよ。……ましてや大袈裟な謀反心なんか、持っている身分じゃアござんせんよ。……玩具《おもちゃ》でござんす! 銀紙細工の! もっとも」と云うと身をかがめ、
「呼吸《いき》さえ充ちて居りますれば、竹光であろうとこんな[#「こんな」に傍点]もので」
 その竹光を拾い上げ、スパッとばかりに叩っ切った。
 立木があって小太かったが、それが斜かいに切り折られ、
その切口が白々と、昼の陽を受けて光ったのである。
「素晴らしいなあ」と岡引の松吉は、心から感嘆したように、ドカリと草の間へ胡座《あぐら》を掻くと、
「ゆっくり話をいたしましょう」
「へい、それでは」と上州という乞食も、並んで側《そば》へ腰を下ろしたが、しばらく物を云わなかった。
 二人ながら黙っているのである。
 いぜんとして耕地には人影がなく、ひっそりとして物寂しく、日ばかりが野面を照らしている。
 と、一所影が射した。雲が渡って行ったのだろう。
 都――わけても両国の空は、ドンよりとして煙っている。
 砂塵が上っているのだろう。
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