とそれからおまんま[#「おまんま」に傍点]をね」
居間へ引っ返した丁寧松はポカンとした顔で考え込んだが、やがて長火鉢のひきだし[#「ひきだし」に傍点]を開けると、ちいさい十呂盤《そろばん》を取り出した。
パチ、パチ、パチと弾き出した。
岡引の松吉は三十五歳、働き盛りで男盛り、当時有名な腕っコキで、十人以上の乾兒《こぶん》もあったが、どうしたものか独身であった。そうして彼は変人でもあった。起居も動作も言葉つきも、岡引どころの騒ぎではなく、旦那衆のように丁寧なのである。乾兒や乞食に対してさえ、丁寧な言葉を使うのである。
丁寧松の由縁《いわれ》である。
ところで彼は捕り物にかけては、独特の腕を持っていた。武器はと云えば十呂盤と十手で……
十手が武器なのは当然だが、十呂盤が武器とはどういうのだろう?
それは誰にも解らなかった。
とはいえ、彼は事件にぶつかると、きっと十呂盤を取り出して、掛けたり引いたりするのであった。
こじつけ[#「こじつけ」に傍点]ればこんなように云うことは出来る――すべて数学というものは、人の心を緻密にし人の心をおちつかせる。そこで心をおちつかせるために、十呂盤弾きをするのだと。
今も熱心に弾いている。
「二、一|天作《てんさく》の五、二|進《しん》が一|進《しん》、ええと三、一、三十の一……加賀屋親子の行方不明、佐賀町河岸での人殺し、そこへ迎えに出た加賀屋の提燈……これには連絡がなければならない。……宇和島という若侍……それに泊まった柏屋という旅籠? ……柏屋、柏屋、柏屋だな?」
どうにも考えがまとまらないらしい。
「加賀屋から迎えに出た以上は、本家か寮かへ連れて行かなければ、本当のやり口とは云われない。……十から八引く六残る。冗談云うなよ、二が残らあ」
珠算《たまざん》をしながら考えている。
痩せぎすでそうして小造りであり、眼が窪んで光が強く、どっちかというと醜男である。だが決して一見した所、人に悪感を与えるような、そんな人相はしていない。
「十から八引く二が残る。と云うのが浮世の定法だが、本当の浮世はそうでない。八が残ったり四が残ったり、もう一つこいつ[#「こいつ」に傍点]が酷《ひど》いことになると、十一なんかが残ったりする」
などと警句を云う男であった。
珠を払うとヒョイと立った。
「本筋から手繰って行くことにしよう
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