か強いぞ」
「えへへへ、どうですかね」
「こいつがこいつが悪い奴だ。笑うということがあるものか」
などと紋太郎は職人相手に無邪気な話をするのであったが、心のうちにはちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]とこの時一つの目算《もくろみ》が出来上がっていた。
深夜の写山楼
明日ともいわずその日の夕方、藪紋太郎は邸を出て、写山楼へ行くことにした。
当時写山楼の在り場所といえば、本郷駒込林町で、附近に有名な太田ノ原がある。太田道灌の邸跡でいまだに物凄い池などがあり、狐ぐらいは住んでいる筈だ。
さて紋太郎は出かけたものの本所割下水から本郷までと云えばほとんど江戸の端《はし》から端でなかなか早速には行き着くことが出来ない。それで途中から駕籠に乗ったがこの駕籠賃随分高かったそうだ。
本郷追分で駕籠を下りた頃にはとうに初夜《しょや》を過ごしていた。季節は極月《ごくげつ》にはいったばかり、月も星もない闇の夜で雪催いの秩父|颪《おろし》がビューッと横なぐりに吹いて来るごとに、思わず身顫いが出ようという一年中での寒い盛り。……
「好奇《ものずき》の冒険でもやろうというには、ちとどうも今夜は寒過ぎるわい」
などと紋太郎は呟きながら東の方へ足を運んだ。郁文館中学から医学校を通りそれから駒込千駄木町団子坂の北側を過《よぎ》りさらに東北へ数町行くと駒込林町へ出るのであるがもちろんこれは今日の道順《みち》で文政末年には医学校もなければ郁文館中学もあろう筈がない。そうして第一その時代には林町などという町名なども実はなかったかもしれないのである。
一群れの家並を通り過ぎ辻に付いてグルリと廻ると突然広い空地へ出たが、その空地の遙か彼方《あなた》にあたかも大名の下邸のような宏荘な建物が立っていた。
これぞすなわち写山楼である。
「うむ、ずいぶん宏大なものだな」
紋太郎はそこで立ち止まりそっと四辺《あたり》を見廻した。別に悪事をするのではないが由来冒険というものはどうやら悪事とは親戚と見え同じような不安の心持ちを当人の心へ起こさせるものだ。
「さてこれからどうしたものだ? ……まずともかくももう少し写山楼へ接近して周囲《まわり》の様子から探ることにしよう」
――で、紋太郎は歩き出した。
初夜といえば今の十時、徳川時代の十時といえば大正時代の十二時過ぎ、ましてこの辺は田舎ではあり人通りなどは一人もなく写山楼でも寝てしまったか燈火《ともしび》一筋洩れても来ない。
厳《いか》めしい表門の前まで来て紋太郎は立ち止まった。
「まさかここからは忍び込めまい。……それでもちょっと押して見るかな」
で、紋太郎は手を延ばし傍《そば》の潜門《くぐり》を押して見た。
「どなたでござるな?」と門内からすぐに答える声がした。「土居様お先供ではござりませぬかな? しばらくお待ちくだされますよう」
しばらくあって門が開いた。
もうその頃には紋太郎は少し離れた榎《えのき》の蔭に身を小さくして隠れていたが、
「土井様と云えば譜代も譜代|下総《しもうさ》古河で八万石|大炊頭《おおいのかみ》様に相違あるまいが、さては今夜写山楼へおいでなさるお約束でもあると見える。……それにしてもさすがに谷文晁《たにぶんちょう》、たいしたお方を客になさる」
驚いて様子を見ていると、門番の声が聞こえて来た。
「何んだ何んだ誰もいねえじゃねえか。こいつどうも驚いたぞ。ははアさては太田ノ原の孕《はら》み狐めの悪戯《いたずら》だな」
「どうしたどうした、え、狐だって?」相棒の声が聞こえて来る。「気味が悪いなあ、締めろ締めろ!」
ギ――と再び門の締まる陰気な音が響いたが森然《しん》とその後は静かになった。
で、紋太郎はそろそろと隠れ場所から現われたが、足音を盗み塀に添い裏門の方へ歩いて行った。
裏門も厳重に締まっている。乗ずべき隙などどこにもない。
待て! と突然呼ぶ者がある
それでも念のため近寄って邸内の様子を覗こうとした。
「どなたでござるな?」
と門内から、すぐに咎める声がした。「ここは裏門でござります。塀に付いてグルリとお廻りくだされ、すぐに表門でござります。……ははア柳生様のお先供で、ご苦労様に存じます」
「おやおやそれでは柳生侯も今夜はここへおいでと見える。大和正木坂で一万石、剣道だけで諸侯となられた但馬守様《たじまのかみさま》は剣《つるぎ》の神様、えらいお方がおいでになるぞ」
紋太郎いささか胆を潰し表門の方へ引っ返した。
「待て!」
と突然呼ぶ声がした。闇の中からキラリと一筋光の棒が走り出たが紋太郎の体を照らしたものである。その光が一瞬で消えると黒い闇をさらに黒めて一人の武士が現われた。宗十郎頭巾に龕燈提灯《がんどうちょうちん》、供の者が三人|従《つ》いている。
グルリと紋太郎を囲繞《とりま》いたが、
「この夜陰に何用あってここ辺りを彷徨《さまよ》われるな? お見受け致せばお武家のご様子、藩士かないしはご直参か、ご身分ご姓名お宣《なの》りなされい」
言葉の様子が役人らしい。
こいつはどうも悪いことになった。――こう紋太郎は思いながら、
「そういうお手前達は何人でござるな?」
心を落ち着けて訊き返した。
「南町奉行手附きの与力、拙者は松倉金右衛門、ここにいるは同心でござる」
「与力衆に同心衆、ははあさようでござるかな。……拙者は旗本藪紋太郎、実は道に迷いましてな」
「なに旗本の藪紋太郎殿? ははア」
といったがどうしたものかにわかに態度が慇懃《いんぎん》になった。しかしいくらか疑がわしそうに、
「お旗本の藪様とあっては当時世間に名高いお方、それに相違ござりませぬかな?」
「なになに一向有名ではござらぬ」紋太郎は闇の中で苦笑したが、「一向有名ではござらぬがな、藪紋太郎には間違いござらぬよ」
「吹矢のご名手と承わりましたが?」
「さよう、少々|仕《つかまつ》る」
「多摩川におけるご功名は児童走卒も存じおりますところ……」
「なんの、あれとて怪我の功名で」
「ええ誠に失礼ではござるが、貴所様が藪殿に相違ないという何か証拠はござりませぬかな?」
「証拠?」といって紋太郎ははたとばかりに当惑したが、「おお、そうそう吹矢筒がござる」
こういって懐中から取り出したのは常住座臥放したことのない鳥差しの丑《うし》から貰ったところの二尺八寸の吹矢筒であった。
「ははあこれが吹矢筒で? いやこれをご所持の上は何んの疑がいがございましょうぞ」
こういっている時一団の人数が粛々と此方《こなた》へ近寄って来たが、それと見て与力や同心が颯《さっ》っと下がって頭《かしら》を下げたのは高い身分のお方なのであろう。
「変わったことでもあったかの?」
こういいながら一人の武士が群れを離れて近寄って来た。どうやら一団の主人公らしい。
「は」といったのは与力の松倉で、「殿にもご承知でござりましょうが、藪紋太郎殿道に迷われた由にてこの辺を彷徨《さまよ》いおられましたれば……」
「ああこれこれ、その藪殿、どこにおられるな、どこにおられるな?」
そういう声音《こわね》に聞き覚えがあったので、
「ここにおります。……拙者藪紋太郎……」
「おお藪殿か。私は和泉《いずみ》じゃ」
「おおそれでは南お町奉行筒井和泉守様でござりましたか」
「藪殿、道に迷われたそうで」
「道に迷いましてござります」
「よい時道に迷われた。藪殿、よいものが見られますぞ。アハハハ」
と和泉守、何と思ったか笑ったものである。
諸侯の乗り物陸続として来たる
和泉守と紋太郎とは役向きの相違知行の高下から、日頃|交際《まじわり》はしていなかったが、顔は絶えず合わせていた。というのは和泉守が家斉公のお気に入りでちょくちょく西丸へやって来てはご機嫌を窺《うかが》って行くからで、西丸書院番の紋太郎とは厭でも自然顔を合わせる。殊には和泉守は学問好き、それに非常な名奉行で、在職年限二十一年、近藤守重の獄を断じて一時に名声を揚げたこともあり、後年|冤《えん》によってしりぞけられたが忽ち許されて大目附に任じ、さらに川路聖謨《かわじせいばく》と共に長崎に行って魯使《ろし》と会し通商問題で談判をしたり、四角八面に切って廻した幕末における名士だったので、紋太郎の方では常日頃から尊敬してもいたのであった。
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いぎりすもふらんすも皆里言葉たびたび来るは厭でありんす
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和泉守の狂歌であるがこんな洒落気《しゃれけ》もあった人物《ひと》で、そうかと思うと何かの都合で林大学頭が休講した際には代わって経書を講じたというから学問の深さも推察される。
「さあ方々《かたがた》部署におつきなされ」
和泉守は命を下す。
「はっ」と云うと与力同心一斉にバラバラと散ったかと思うと闇に隠れて見えなくなり、後には和泉守と紋太郎と和泉守を守護する者が、四五人残ったばかりである。
「藪氏、此方《こなた》へ」
と云いながら和泉守は歩き出した。
「ここがよろしい」と立ち止まったのはさっき紋太郎が身を忍ばせた門前の大榎の蔭である。
と、その時、空地の彼方《あなた》、遙か西南の方角にあたって一点二点三点の灯が闇を縫ってユラユラ揺れたが次第にこっちへ近寄って来た。
近付くままによく見れば一挺の駕籠を真ん中に囲んだ二十人余りの武士の群れで、写山楼差して進んで行く。やがて門前まで行き着くとひた[#「ひた」に傍点]とばかりに止まったが、二声三声押し問答。ややあって門がギーとあく。駕籠も同勢も一度に動いてすぐと中へ吸い込まれた。
後は森閑と静かである。
と、和泉守が囁いた。
「上州安中三万石、板倉殿の同勢でござるよ」
「ははあ、さようでございますかな」紋太郎はちょっと躊躇《ためら》ったが、「それに致しても何用ござってそのように立派な諸侯方がこのような夜陰に写山楼などへおいで遊ばすのでござりましょう」
「それか、それはちと秘密じゃ」
和泉守は笑ったらしい。「見られい。またも参られるようじゃ」
はたして遙かの闇の中に二三点の灯がまばたいたがだんだんこっちへ近寄って来る。やはり同じような同勢であった。真ん中に駕籠を囲んでいる。門まで行くと門が開き忽ち中へ吸い込まれた。
「犬山三万五千石成瀬殿のご同勢じゃ」
和泉守は囁いた。それから追っかけてこういった。「大御所様二十番目の姫|満千姫君《まちひめぎみ》のお輿入《こしい》れについては、お噂ご存知でござろうな?」
「は、よく承知でござります」
「上様特別のご愛子じゃ」
「さよう承わっておりまする」
「お輿入れ道具も華美をきわめ、まことに眼を驚かすばかりじゃ」
「は、そうでございますかな」
「今夜のこともやがて解ろう。……おおまたどなたかおいでなされたそうな」
はたして提灯を先に立て一団の人数が粛々と駕籠を囲繞《とりま》いて練って来たが、例によって門がギーと開くとスーッと中へ消え込んだ。
「あれこれ柳生但馬守様じゃ」
云う間もあらず続いて一組同じような人数がやって来た。
塀へ掛けた縄梯子
「信州高島三万石諏訪因幡守様ご同勢」
「ははあさようでござりますかな」
おりからまたも、一団の人数闇を照らしてやって来たが百人あまりの同勢であった。
「藪氏、あれこそ毛利侯じゃ」
「長門国《ながとのくに》萩の城主三十六万九千石毛利大膳大夫様でござりますかな」
「さよう。ずいぶん凛々《りり》しいものじゃの長州武士は歩き方から違う」
間もなく毛利の一団も写山楼の奥へはいって行った。
追っかけ追っかけその後から幾組かの諸侯方の同勢が、いずれも小人数の供を連れ、写山楼差してやって来た。
五万八千石|久世《くぜ》大和守。――常州関宿の城主である。喜連川《きつれがわ》の城主喜連川左馬頭――不思議のことにはこの人は無高だ。六万石小笠原佐渡守。二万石鍋島熊次郎。二万千百石松平左衛門尉。十五万石久松|隠岐守《おきのかみ》。一万石一柳|銓之丞《せんのじょう》。――播州小野の
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