ぬ」
「南無三!」
とばかり飛びかかり、顎を下から突き上げた。「ムー」と呻いて仆れるのを板戸をあけてポンと蹴込みそのまま廊下を灯蔭《ほかげ》灯蔭と表の方へ走って行く。……
ちょうどこの時分紋太郎は彦根の城下を歩いていた。彼はひどくやつれていた。
「俺の旅費もいよいよ尽きた。……しかも未だに駕籠の主も馬の荷物の何んであるかも、突き止めることが出来ないとは。……俺は今に乞食になろう……乞食になろうが非人になろうが、思い立ったこの願い、どうでも一旦は貫かねばならぬ」
勇猛心を揮い起こし駕籠の後を追うのであった。京都、大坂、兵庫と過ぎ、山陽道へはいっても駕籠と馬とは止まろうともしない。須磨、明石と来た頃には、文字通り紋太郎は乞食となり、口へ破れた扇をあて編笠の奥から下手な謡《うたい》を細々うたわなければならなかった。
こうして道中で年も暮れ、新玉《あらたま》の年は迎えたが、共に祝うべき人もない。
九州の地へはいっても駕籠と馬とは止まろうともしない。
かくて二月の上旬頃長崎の町へは着いたのである。
遙かにも我来つるかな……思わず彼は呟《つぶや》いて涙を眼からこぼしたがもっともの
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