でどうすることも出来なかった。
「だんだん夜は逼って来る。やんでいた雪も降り出して来た。さてこれからどうしたものだ。……うむしめた! 明日は非番だ! 今日はこのまま家へ帰り明日は朝から出張ることにしよう」
 で、充分の未練を残し彼が邸へ帰り着いたのはその日もとっぷり暮れた頃であったが翌日は扮装《みなり》も厳重にし早朝から邸を出た。
 昨日の雪が一二寸積もり、江戸の町々どこを見ても白一色の銀世界で今出たばかりの朝の陽が桃色に雪を染めるのも冬の清々《すがすが》しい景色として何とも云えず風情《ふぜい》がある。
 吾妻橋を渡り浅草へ抜け、雷門を右に睨み、上野へ出てやがて本郷、写山楼まで来た時にはもう昼近くなっていた。
「おや」と云って紋太郎は思わず足を止どめたものである。
 今、写山楼の門をくぐり駕籠が一挺現われた。駕籠|側《わき》に二人の武士がいる。そうして駕籠の背後《うしろ》からはさも重そうに荷を着けた二頭の馬が従《つ》いて来る。遠い旅へでも出るらしい。
「これはおかしい」
 と云いながら過ぎ行く駕籠と馬の後をじっと紋太郎は見送ったが、ハイカラにいえば六感の作用、言葉を変えればいわゆる直覚
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