家を出た日を命日と思って時々線香でもあげてくれ」
これが吉備彦の遺訓であった。
吉備彦は翌日家を出た。
鈴鹿峠までやって来ると山賊どもに襲われた。山賊に斬られて呼吸《いき》を引き取る時こういったということである。
「道標《みちしるべ》、畑の中。お日様は西だ。影がうつる? 影がうつる? 影がうつる?」
まことに変な言葉ではある。
山賊の頭は世に轟いた明神太郎という豪の者であったが、ひどくこの言葉を面白がって、時々真似をして喜んだそうだ。で、手下どももいつの間にかお頭《かしら》の口真似をするようになり、それがだんだん拡がって日本全国の盗賊達までその口真似をするようになった。
「道標《みちしるべ》。畑の中。お日様は西だ。影がうつる? 影がうつる? 影がうつる?」
この暗示的な謎のような言葉は爾来代々の盗賊によっていい伝えられ語り継がれて来て、源平時代、北条時代、足利時代、戦国時代、豊臣時代を経過してとうとう徳川も幕末に近い文政時代まで伝わって来た。
そうして文政の某年に至って一つの事件を産むことになったが、その事件を語る前に例の六歌仙の絵巻について少しくお喋舌《しゃべ》りをする
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