えた空飛ぶ大きな機械である。十三世紀の伊太利亜《イタリア》にレオナルド・ダ・ビンチと名を呼んだ不世出の画伯が現われた。すなわち飛行機を作ろうと一生涯苦労された。それに慣《なら》ってビショット氏も飛行機の製作に苦心されついに成功なされたが、またひどい目にもお逢いなされた。多摩川で試乗なされた節吹矢で射られたということじゃ。……いずれ大鳥と間違えて功名顔に射たのであろう世間には痴《たわ》けた奴がある。ワッハハハ」
 と哄笑したが、
「私は長崎の大通詞丸山作右衛門と申す者、ビショット氏とは日頃懇意、お見受けすればお手前には他国人で困窮のご様子、力になってあげてもよい。邸は港の海岸通り、後に訪ねて参られるがよい」
「泥棒!」
 とその時ビショット邸からけたたましい声が響いて来たが、潜門《くぐり》を蹴破り飛び出して来たのは見覚えのある貧乏神で、小脇に二本の箱を抱え飛鳥のように駆け過ぎた。

 奈良宝隆寺から西一町、そこに大きな畑があり、一基の道標《みちしるべ》が立っていた。
 今、日は西に沈もうとして道標の影が地に敷いている。
 そこを二人の若者が鍬でセッセと掘っている。
 掘っても掘っても何ん
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