六歌仙よ、揃ったかな?」
「それじゃ親方! お前さんも……」
「王朝時代の大泥棒、明神太郎から今日まで、二百人に及ぶ泥棒の系図、それから不思議な暗号文字《やみことば》――道標《みちしるべ》、畑の中、お日様は西だ。影がうつる。影がうつる。影がうつる。――ええとそれから註釈《ことわりがき》、「信輔筆の六歌仙、六つ揃わば眼を洗え」……実はこいつを見た時には俺もフラフラと迷ったものさ。あの書き附けは賊の持ち物、そいつを付けて捨てられたお前、やはり賊の子に相違ねえと、育てながらも心配したが、これまで別にこれという変わったこともなかったので、やれ有難いと思っていたに、とうとう本性現わして大きいところへ目を付けたな! 俺が止めろと止めたところでおいそれ[#「おいそれ」に傍点]といって止めるようなそんな小さい望みでもねえ。やるつもりならやるもいいが江戸の梨園《りえん》の総管軸この成田屋の身内としてこれまで通り置くことは出来ぬ。上覧芝居を限りとして破門するからその意《つもり》で、とっくり考えておくがいい……そこでもう一度尋ねるが、書き附けを取りはしねえかな?」
「何んとも申し訳ございません。たしかに盗みましてございます」
「そうして六歌仙は揃ったか?」
「はいようやく三本ほど」
「ううむ、そうか、どこで取ったな?」
「そのうち二本は専斎という柳営奥医師の秘蔵の品、女中に化けて住み込んで盗み出してございます」
「二十日ほど家をあけた時か?」
「へえ、さようでございます」
「もう一本はどこで取った?」
「これは藪という旗本の宝、木曽街道の松並木で私の相棒が掠《す》りました」
「相棒の眼星もついているが、それは他人で関係がねえ。……で、四本目はまだなのか?」
「へえ、まだでございます」
「二十五日は上覧芝居、お前も西丸へ連れて行く」
「へえ、有難う存じます」
「お前を西丸へつれて行くんだ」
「へえ、有難う存じます」
「いいか悪いかしらねえが、まあ俺の心づくしさ」
「へえ、有難う存じます」
「部屋へ帰って休むがいい」
団十郎はこういうと煙管をポンと叩いたものである。
西丸の大廊下
旧記によれば上覧芝居は二十八日とも記されているが、しかし本当は二十五日で、この時の西丸の賑やかさは「沙汰の限りに候《そろ》」と林大学頭が書いている。
朝の六時から始まって夜の十一時に及んだといえば、十七時間ぶっ通しに四つの芝居が演ぜられたわけ、仮りに作られた舞台花道には、百目蝋燭が掛け連らねられ、桜や紅葉の造花から引き幕|緞帳《どんちょう》に至るまで新規に作られたということであるから、費用のほども思いやられる。正面|桟敷《さじき》には大御所様はじめ当の主人の満千姫様《まちひめさま》、三十六人の愛妾達、姫君若様ズラリと並びそこだけには御簾《みす》がかけられている。その左は局《つぼね》の席、その右は西丸詰めの諸士達《しょさむらいたち》の席である。本丸からも見物があり、家族の陪観が許されたのでどこもかしこも人の波、広い見物席は爪を立てるほどの隙もなかった。
ヒューッとはいる下座の笛、ドンドンと打ち込む太鼓つづみ、嫋々《じょうじょう》と咽ぶ三弦の音《ね》、まず音楽で魅せられる。
真っ先に開いたは「鏡山《かがみやま》」で、敵役《かたきやく》岩藤の憎態《にくてい》で、尾上《おのえ》の寂しい美しさや、甲斐甲斐しいお初の振る舞いに、あるいは怒りあるいは泣きあるいは両手に汗を握り、二番目も済んで中幕となり、市川流荒事の根元「暫《しばらく》」の幕のあいた頃には、見物の眼はボッと霞み、身も心も上気して、溜息をさえ吐く者があった。
団十郎の定光が、あの怪奇《グロテスク》な紅隈《べにくま》と同じ怪奇の扮装で、長刀《ながもの》佩いてヌタクリ出で、さて大見得を切った後、
「東夷南蛮|北狄《ほくてき》西戎西夷八荒天地|乾坤《けんこん》のその間にあるべき人の知らざらんや、三千余里も遠からぬ、物に懼《お》じざる荒若衆……」
と例の連詞《つらね》を述べた時には、ワッと上がる歓呼の声で、来てはならない守殿の者まで自分の持ち場を打ち捨てて見に来るというありさまであったが、この時裏の楽屋から美しい腰元に扮装した若い役者が楽屋を抜け西丸の奥へ忍び込んだのを誰一人として知った者はなかった。
楽屋を抜け出した小次郎は、夜の西丸の大廊下を、なるだけ人に見付けられぬよう灯陰《ほかげ》灯陰と身を寄せて、素早く奥へ走って行った。
一村一町にも比較《くら》べられる、無限に広い西丸御殿は、至る所に廊下があり突き当たるつど中庭があり廊下に添って部屋部屋がちょうど町方の家のように整然として並んでいる。
廊下を左へ曲がったとたん、向こうから来た老武士とバッタリ顔を見合わせた。
「ごめん遊ばせ」
と声を掛け
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