、その文屋と遍昭が食わせものじゃあるめえかな」
「うんにゃ違う、こりゃ確かだ。俺が現在二つの眼で、写山楼の内《なか》で見たものだ。そうして文晁がお礼としてあの蘭人にくれたものだ。そうでなくってこの俺が江戸から後を尾行《つけ》るものか。べらぼうなことをいわねえものだ」
「へん、どっちがべらぼうでえ、へんな贋物を掴みやがって」
 二人はだんだんいい募った。
 やがて日が暮れ夜となったが、その星ばかりの闇の中で撲り合う声が聞こえて来た。

 その翌日のことである。
 二、三人の百姓がやって来た。
「ヒャア、こいつあぶっ[#「ぶっ」に傍点]魂消《たまげ》た。でけえ穴が掘ってあるでねえか!」
「道標《みちしるべ》の石も仆れているのでねえか」
「この畑の踏み荒しようは。こりゃハア天狗様の仕業《しわざ》だんべえ」
 百姓達は不平タラタラその大きな穴を埋め出した。
 それは大変寒い日で、彼等はやがて焚火をし、
「やあここに掛け物がある」
「やあここにも掛け物がある」
「一つ二つ……五つ六つ、六つも掛け物落ってるだあよ」
「何んて穢ねえ掛け物だあ。踏みにじられてよ泥まみれになってよ」
「火にくべるがいいだあ、火にくべるがいいだあ」
 信輔筆の六歌仙は間もなく火の中へくべられた。
 濛々と上がる白い煙り。忽ち焔はメラメラと六歌仙を包んで燃え上がったが、火勢に炙《あぶ》られたためでもあろうか、六歌仙六人の左の眼へ、一字ずつ文字が現われた。
「やあ眼の中へ字が出ただよ。誰か早く読んで見ろやい」
「お生憎《あいにく》さまだあ。字が読めねえなあ」
 間もなくその字も焔に包まれ、千古の謎は灰となった。
「ああ暖けえ。ああいい火だ」
「もう春だなあ。菫《すみれ》が咲いてるだあ」
「ボツボツ桜も咲くずらよ」
 百姓達は暢気そうに火にあたりながら話していた。


    紋太郎と大鵬の握手

「いやこれは驚いた。いやこれは意外千万……ふうむ、そうするとご貴殿がつまり加害者でござるかな? ほほう、いやはや意外千万! 大御所様のおいい付けで、ええと吹矢を吹きかけた? ははあなるほど多摩川でな」
 大通詞丸山作右衛門は、むしろ呆気に取られたように、紋太郎の顔を見守ったが、
「いやいや決して心配はござらぬ。もはやビショット氏の肩の負傷はほとんど全快致してござる。いやビショット氏は大芸術家、殊に非常な人格者でござればもちろん貴殿の誤りに対して何んの悪感も持ってはおられぬ。それにかえって江戸に近い多摩川の河原で断わりもなく試乗したのは飛んだ失敗、謀叛を企てるそのために江戸の様子を窺ったのだと、讒者《ざんしゃ》の口にかかりでもしたら弁解の辞にさえ窮する次第、とそれで公然医者も呼べず、帰りの道中は謹慎の意味で駕籠から出なかったほどでござるよ。……そこでと、藪殿いかがでござる、せっかく貴殿も心にかけ大鵬《たいほう》の行方を追って来たことじゃ、これから二人でビショット氏を訪ね、大鵬すなわち飛行機なるものを篤《とく》とご覧になられては。いやいやビショット氏はむしろ喜んで貴殿と逢われるに相違ない。それは拙者が保証する」
 作右衛門はこう云って腰を上げようとした。
 ここは長崎海岸通り大通詞丸山作右衛門の善美を尽くした応接間であるがここを紋太郎が訪問したのは、作右衛門と初めて逢った日から約五日ほど経ってからであった。
 その間紋太郎はどうしていたかというに、例のうまくもない謡《うたい》をうたいただ宛《あて》もなく長崎市中を歩き廻っていたのであった。そうしていよいよ窮したあげく、ふと作右衛門のことを思い出し、親切そうな風貌と手頼《たよ》りあり気だった言葉つきとを唯一の頼みにして、訪ねて行きどうして遙々《はるばる》江戸くんだりからこの長崎までやって来たかを隠すところなく語ったのであった。
 その結果作右衛門がかつは驚きかつは進んでビショット氏へ紹介しようといい出したのである。
「それは何より有難いことで。……飛行機も拝見したいけれどむしろそれよりビショット先生に親しく拝顔の栄を得て過失を謝罪致したければなにとぞお連れくださるよう」
「よろしゅうござる。さあ参ろう」
 こんな具合で作右衛門方を出、蘭人居留地へ出かけて行き、ビショット邸を訪問《おとず》れた。
 すぐと客間へ通されたがやがて出て来たビショット氏を見ると、
「なるほど」と紋太郎は呟いた。
 ビショット氏の皮膚が桃色であり、頭髪はもちろん産毛《うぶげ》までも黄金色を呈していたからであった。
 作右衛門の話しを聞いてしまうとビショット氏は莞爾《かんじ》と微笑したが、突然大きな手を出して紋太郎の手をグッと握った。それは暖い握手であった。
「私は日本に十年おります。で、日本語は自由です。……過失というものは誰にでもあります。何んの謝罪に及び
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