ますものか。……藪紋太郎さん、よう来てくだされた。私は大変満足です。……喜んで飛行機もお目にかければ沢山|蒐集《あつ》めた世界の名画――それもお目にかけましょう。……どれそれでは裏庭の方へ」
 こういうと先に立って歩き出した。
 庭に大きな木小屋があったが、すなわち今日の格納庫で、戸をあけるとその中に粛然と大鵬《たいほう》が一羽うずくまっていた。射し込む日光を全身に浴び銀色に輝く翼や尾羽根! それは木であり金属であり絹や木綿で作ったものではあるがしかしやはり翼《よく》であり立派な尾羽根でなくてはならない。人工の大鵬! 天翔《あまが》ける怪物!
「あっ!」
 と紋太郎が声に出し嘆息したのは当然でもあろうか。
「こっちへ」
 と云ってビショット氏は二人を大広間へ導いた。眼を驚かす世界の名画! それが無数にかかげられてある。
 快よい日光。……南国の日光。……その早春の南国の陽が窓から仄かに射し込んでいる。
 一つの額を指差した。
「ダ・ビンチの名画|基督《キリスト》の半身!」
 ビショット氏は微笑した。
「この人ですよ十三世紀の昔に、飛行機製作に熱中した人は! 先駆者! そうです、芸術と科学のね!」

 丸山作右衛門に旅費を借り、紋太郎が江戸へ帰ったのはそれから一月の後であった。
 彼は直ちに西丸へ伺向し、事の次第を言上した。
「てっきり大鵬と存じたにさような機械であったとは、さてさて浮世は油断がならぬ。日進月歩恐ろしいことじゃ。今日より奢侈《しゃし》を禁じ海防のために尽くすであろう。それに致しても江戸から長崎、長い道程を大鵬を追い、ついに正体を確かめたところのそちの根気は天晴《あっぱれ》のものじゃ。三百石の加増、書院番頭と致す」

 小石川区大和町の北野神社の境内の石の階段を上り切った左に、東向きに立てられた小さな祠《ほこら》が、地震前まであった筈だ。これぞ貧乏神の祠であって、建立主は藪紋太郎。開運の神として繁昌し、月の十四日と三十日には賑やかな市さえ立ったものである。昔は武家が信じたが、明治大正に至ってからは遊芸の徒が信仰したそうだ。
 いずくんぞ知らんこの貧乏神、その本体は坂東三津太郎、不良俳優であろうとは。鰯《いわし》の頭も信心から。さあ拝んだり拝んだりと、大いに景気を添えたところでここに筆を止めることにする。



底本:「銅銭会事変 短編」国枝史郎伝奇文庫27、講談社
   1976(昭和51)年10月28日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
   1925(大正14)年1月11日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:阿和泉拓
校正:湯地光弘
2005年2月21日作成
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