感情と云うべきであろう。
駕籠と馬とはゆるゆると出島の方へ進んで行く。
蘭人居留地があらわれた。駕籠はそっちへ進んで行く。
こうして鉄門と鉄柵とで厳重によろわれた洋館が一行の前へ現われた時、一行は初めて立ち止まった。自《おのず》と門が左右に開き十数人の出迎えがあらわれた。駕籠と馬とがはいって行く。
「ああ蘭人か」
と呟いて紋太郎がぼんやり佇んだ。
もう四辺《あたり》は夕暮れて、暖国の蒼い空高く円い月が差し上った。
その時一人の侍が門を潜ってあらわれた。
「ちょっとお尋ね致します」
「何んでござるな?」と立ち止まる。
「只今ここへ駕籠と馬とがはいりましたように存じますが?」
「おおはいった。ここの主人じゃ」
「そのご主人のお姓名は?」
「ユージェント・ルー・ビショット氏。阿蘭陀《オランダ》より参った大画家じゃ」
「どちらよりのお帰りでござりましょう?」
「江戸将軍家より招かれて百鬼夜行の大油絵を揮毫《きごう》するため上京し、只今ようやく帰られたところ」
「二頭の馬に積まれたは?」
「ビショット氏発明の飛行機じゃ」
「は、飛行機と仰せられるは?」
「大鵬《おおとり》の形になぞらえた空飛ぶ大きな機械である。十三世紀の伊太利亜《イタリア》にレオナルド・ダ・ビンチと名を呼んだ不世出の画伯が現われた。すなわち飛行機を作ろうと一生涯苦労された。それに慣《なら》ってビショット氏も飛行機の製作に苦心されついに成功なされたが、またひどい目にもお逢いなされた。多摩川で試乗なされた節吹矢で射られたということじゃ。……いずれ大鳥と間違えて功名顔に射たのであろう世間には痴《たわ》けた奴がある。ワッハハハ」
と哄笑したが、
「私は長崎の大通詞丸山作右衛門と申す者、ビショット氏とは日頃懇意、お見受けすればお手前には他国人で困窮のご様子、力になってあげてもよい。邸は港の海岸通り、後に訪ねて参られるがよい」
「泥棒!」
とその時ビショット邸からけたたましい声が響いて来たが、潜門《くぐり》を蹴破り飛び出して来たのは見覚えのある貧乏神で、小脇に二本の箱を抱え飛鳥のように駆け過ぎた。
奈良宝隆寺から西一町、そこに大きな畑があり、一基の道標《みちしるべ》が立っていた。
今、日は西に沈もうとして道標の影が地に敷いている。
そこを二人の若者が鍬でセッセと掘っている。
掘っても掘っても何んにも出ない。
二人は顔を見合わせた。
「どうもおかしい」
といったのは、他ならぬ坂東三津太郎である。
「ほんとにこいつ[#「こいつ」に傍点]変梃だ」こういったのは小次郎である。
「もう一度お眼《め》を洗おうぜ」
「よかろう」
というと、二人一緒に、ドンとそこへ胡坐《あぐら》をかいた。
二人の前には六歌仙が、在原|業平《なりひら》、僧正遍昭、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町、こういう順序に置いてあったが信輔筆の名筆もズクズクに水に濡れている。
「六つ揃わば眼を洗え。――さあさあ水をかけるがいい」
「承わる」
と小次郎は、傍《そば》の土瓶を取り上げた。
六歌仙の眼へ水を注ぐ。と、不思議にも朦朧《もうろう》と各※[#二の字点、1−2−22]の絵の右の眼へ一つずつ文字が現われた。
業平の眼へは「宝」の字が、遍昭の眼へは「隆」の字が、喜撰の眼へは「寺」の字が、黒主の眼へは「西」の字が、康秀の眼へは「一」の字が、そうして最後に小町の眼へは「町」という字があらわれた。
「やはりそうだ。間違いはない。――宝隆寺西一町。――この通りちゃアんとあらわれている。……そうしてここは宝隆寺から西一町の地点なんだ」
貧乏神の扮装《みなり》をした坂東三津太郎はこう云うと元気を起こして立ち上がった。
灰、煙り、即希望
小次郎も同じく立ち上がり、
「そうだここは宝隆寺から西一町離れている。そうしてここに道標《みちしるべ》がある。そうしてここは畑の中だ。それにお日様も傾いてあんなに西に沈んでいる。道標の影もうつっている。――道標、畑の中、お日様は西だ、影がうつる、影がうつる、影がうつる――ちゃアンと暗号文字《やみもじ》に合っている。さあもう一度掘って見ようぜ」
そこで二人は鍬を取り、道標の影の落ちた所を、根気よくまたも掘り出した。
石や瓦は出るけれど、平安朝時代の大富豪|馬飼吉備彦《うまかいきびひこ》の隠したといわれる財宝らしいものは出て来ない。
二人はすっかり落胆して鍬を捨てざるを得なかった。
「オイ」
と三津太郎は憎さげに、「お前が西丸で盗んだというその在原業平の軸、もしや贋《にせ》じゃあるめえかな」
「冗談いうな」
と小次郎もムッとしたようにいい返す。
「千代田の大奥にあった軸だ。贋やイカ物でたまるものか。それよりお前が長崎の蘭人屋敷で取ったという
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