がいいかな」
 二人はしばらく考えた。
 籠鶯《やぶうぐいす》の啼音《なくね》がした。軒の梅へでも来たのであろう。ギーギーと櫓《ろ》の音がする。川を上る船の櫓だ。
「おおところで太郎さんは?」
 団十郎は何気なく思い出したままに訊いて見た。
 すると三津五郎は苦笑したが、
「また病気が起こりましてね」
「それじゃ、家にはおいでなさらない?」
「昨日から姿が見えません。……ところでいかがですな小次郎さんは?」
「小次郎は家におりますよ」
「おいでなさる? これは不思議。私《わし》は一緒かと思ったに」
「さようさ、いつもは御酒徳利《おみきどっくり》で、きっと連れ立って行くんですからね」
「へえ、家においでなさる?」
「今度は家におりますよ」
「それじゃ家の三津太郎だけがヒョコヒョコ出かけて行ったんですな」
 三津五郎は眼を顰《しか》めた、そうしてじっ[#「じっ」に傍点]と考え込んだ。
 今話に出た三津太郎とは三津五郎にとっては実子にあたり、それも長男で二十一歳、陰惨な役所《やくどこ》によく篏《は》まり四谷怪談の伊右衛門など最も得意のものとしたいわゆるケレンにも達していて身の軽いことは驚くばかり、壁を伝い天井を走り三|間《げん》の溝《みぞ》を猫のようにさも[#「さも」に傍点]身軽に飛び越しさえした。しかし性質は穏《おとな》しかった。
 しかるにそれが一年前、忽然姿が見えなくなり二十日ばかりして帰って来ると俄然性質が一変した。
「俺を知らねえか、え、俺を。明神太郎の後胤《こういん》だぞ!」
 こんな事をいうようになり、穏しかった性質が荒々しくなり自堕落になり歌舞伎の芸は習わずに剣術だとか柔術だとかそんなものばかりに力を入れ、そうして時々理由なしに夜遅く家を抜け出したり十日も二十日も一月も行方知れずになることがあった。
 そうして今度も一昨日から行方が不明《しれず》になったのである。
「いや全く悪い子を持つと親は心配でございますよ」
 嘆息するように三津五郎はいった。
「私の所《とこ》の小次郎は何と云っても拾い子で心配の度も少いが、あなたの所は血を分けた実子さぞ心配でござんしょうな」
 団十郎も気の毒そうにしみじみとしていったものである。
 後の出し物はまとまらず追って相談ということになり、団十郎の帰った頃から日はひたひたと暮れて来た。
 その後の相談で決まったのは「一谷双軍
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